『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』(俺妹)という、ライトノベルを原作とした作品群がある。そのタイトルからもわかる通り、いわゆる「妹モノ」でありながら、一方で「妹モノ」ではないとも言える。俺妹のストーリーの軸は妹ではなく、エロゲーや現代日本のオタク文化のほうにあるからだ。ここで興味深いのは、主人公の妹でヒロインの桐乃は、オタク文化の中に存在するあらゆるジャンルの中でも特に「妹モノ」を好んでいる点だ。一般的な「妹モノ」においては、兄妹間の恋愛が当たり前に起こる。それとは対照的に、「リアル妹」であるところの桐乃は兄に対しては恋愛感情どころか、むしろ嫌悪感を抱いている(ように見える)。兄の京介も同様で、2人は冷戦状態にあった。
私にも、実の妹が2人いる(他に義理の妹がいるわけではない)が、やはり妹に対しては、恋愛感情のようなものを抱くことはない。同じ親から生まれてきたとは言っても、あらゆる点で違いがありすぎる。妹は私と違って運動神経がよく、社交的で、友達も多い。ファッションにも敏感だ。趣味も違えば、話し方だって似ても似つかない。形質的なものに限れば、昔は「(顔が)よく似てる」といろんな人から言われたものだが、年を経るにつれ、特に第二次性徴期を経て、男女の違いが際立ってきたからか、あまりそう言われることもなくなった。
俺妹の主人公たちのように、会話がない、とか、極端に少ない、とかいうことはない。むしろ会話はとても多い。少なくとも、会話を通じてお互いの違いをはっきりと認識できる程度には。
当然ながら、妹のことは嫌いではない。そもそも、私の妹に対する感情は「好き」「嫌い」の2択で割り切れるような単純なものではないが、あえてどちらかを選べと言われたら、当然「好き」である。
だが、その感情は、どこまでも恋愛感情とは異なる。私はそれこそが「家族である」ということなのではないかと考えている。
あまりに見慣れているせいで、小さな変化には絶対に気づかない。恋人同士ならば、女のほうが「どうして気づかないの!? この、鈍感男!!」と怒って喧嘩になってもおかしくないが、兄妹関係ではそのようなことは起きない。気づいてもらえなくても「あの人はそういう人だからね」で済まされる。そもそも、「妹が小さな変化を兄に気づいてほしい」ということ自体、あまり考えにくい。妹にとって兄は「兄」でしかないのだから。
世の妹いない系男子たちが想像しているほど、現実の妹には夢が持てるわけではないし、兄妹関係は情熱的なものではないのだ。
俺妹の兄妹関係は、ストーリーの進行とともに徐々に変質していく。初めは「同じ家に住んでいる他人」だったものが徐々に「兄妹」へ。
「兄妹」、それは当たり前の関係のようで、最近では案外、そんなこともないのかもしれない。私が中学高校の頃は――当時はみんな思春期だったからというのもあるだろうが――、周りと比べてみても、私たち兄妹の仲の良さはかなり珍しいものだった。具体的にどれくらい仲が良かったかと言えば、一緒に買い物に行ったり、カラオケで歌ったりといったことを普通にしていたぐらいだ(趣味も嗜好もまったく合わないので、それほど頻繁にやっていたわけではないが)。その仲の良さは、しかし、きっと「兄妹」だけがつくり上げたものではない。私には他に姉や、弟もいる。喧嘩をして、いったん兄妹関係が断絶しても、姉を経由するなどの迂回路が必ずどこかに存在し、関係の修復を手伝ってくれる。俺妹においても、主人公兄妹の関係を変質させたのは彼ら自身ではなく、周りの人間、特に「友達」だ。
俺妹の「兄妹」への切り口は斬新なものだった。しかし、それでも俺妹はラブコメの色が強い。2人の関係が無事「兄妹」へと変わっただけでは留まることができずに、その先を目指しているようなところが感じられる。妹と、妹ではない別のヒロインの存在が並び立つ形でストーリーを展開させていくようになるのだ。それはもはや「妹モノ」以外の何物でもない。
上でも述べたが、兄妹関係は恋愛関係ではない。前でも後ろでもない、別ベクトルへ進んでいる。その意味で、俺妹のアプローチはいささか中途半端だったように感じる。
兄妹関係にスポットを当てた作品としては、一迅社のぱれっとonlineで連載されている『妹はいいものだ』という4コママンガが絶妙な具合にリアルで良い。Twitterでも毎日一本ずつ更新されているので、ぜひ一度読んでみてほしい。
『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』の主人公兄妹(原作1巻より)。妹の桐乃は現在「タレント企画」として公式Twitter(@kirino_kousaka)を持つほか、実際に公式サイトから「お仕事」の依頼を出すこともできる。
『妹はいいものだ』のヒロイン「はるな」。
(ソトムラ)
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