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リッこら

Re:ALL製作委員会は一枚岩ではありません。日々委員どうしが小首を傾げ合いながら 冊子を作っています。彼らは一枚岩というよりはむしろ、ガラクタの山のようです。どんなガラクタが埋まっているのか。とにかく委員それぞれが好きなものを書きたいということで始めたコラム、気が向いたら読んでやって下さい。ひょっとしたら、使えるガラクタがあるかもしれません。

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ラジオの話



テレビは見ず、ラジオを聴くことが、昔から多かった。単純に部屋にテレビが無いからかもしれない。まあ、それを抜きにしても、テレビよりラジオが好きだった。今でもそう。ラジオのどこが好きなのだろう。おもむろに書いてみる。

ラジオは動きを縛らない。これは大きい。テレビは視線を、つまりは僕らの動きを制限する。当然だ。映像だから、画面が見えていないといけない。テレビの前から動けない、というのは実に厄介だ。だが、ラジオは違う。ラジオは僕らの行動を制限しない。音が聞こえている限り、僕らは何をしてもいい。ネットサーフィンだって、部屋の掃除だって、ドライブだって、聴きながら寝たって構わない。ウォークマンでラジオを聞けば、通勤通学だって楽しめる。本を開く余裕のない満員電車だって、イヤホンを挿せば苦痛が幾分和らぐ。まあ、人前で吹き出しそうになる危険と隣り合わせ、という点も、否定はしないが。

 ネットやアプリでラジオを聴くこともできる。そうすれば雑音が入らず快適に番組を楽しめる。また、あるアプリを使えば、今までは聞くことができなかった、地方局の番組も聞くことができる。地方のラジオ局には、キー局よりも面白い番組があったりするものだ。

テレビで活躍する人間が、ラジオ番組を持つことも多い。そういう人の場合、大抵ラジオの方が魅力的だ。大概の人間は、演じた姿よりも素の方がおもしろい。そして、ラジオはテレビよりも、話し手が素になりやすい場であるように思う。好きになった人の、より素に近い姿が見たい、と思うのは自然なことだろう。

リスナーはメールで話し手とつながれることも多く、テレビよりも身近に感じられる、ということもあるかもしれない。ただ、僕の場合、リスナーと話し手のやりとりが聴きたいわけではない。リスナーが参加する逆電コーナーなんか最悪だ。ラジオ以外でも言えることだが、視聴者や読者が参加する企画はつまらない。ラジオの場合、リスナーからのメールは、あくまでトークの種。それ以上でも、それ以下でもない。

大泉洋雑誌の取材で、
僕のラジオは『リスナーに向けて何かを発信している』という意識とは少し違うんですよね。僕と、後輩芸人のオクラホマの二人とのトークをリスナーの方はただ聴いてくれればいい、という感じなんです。ラジオを始めた当初、マイクの向こう側に聴いているリスナーの顔を思い浮かべなさい、みたいなことをよく言われたけど、そもそも僕は最初からそのつもりがない(笑)」と語っている。そう、僕は、話し手のトークを、ただ聞いていたいだけなのだ。「ラジオの魅力は話し手がリスナーに直接語りかけてくれるところ」だなんてひとつも思わない。


ラジオの魅力はたくさんあるが、一番大事なのは、単に、人の話を聞く、ということ。会ったこともない人の、他愛もない話に耳を傾ける。そのシンプルな楽しさが、僕はどうしようもなく好きなのだ。


矢野慶太



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