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リッこら

Re:ALL製作委員会は一枚岩ではありません。日々委員どうしが小首を傾げ合いながら 冊子を作っています。彼らは一枚岩というよりはむしろ、ガラクタの山のようです。どんなガラクタが埋まっているのか。とにかく委員それぞれが好きなものを書きたいということで始めたコラム、気が向いたら読んでやって下さい。ひょっとしたら、使えるガラクタがあるかもしれません。

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F・G・K・S



寒くなってきましたね。皆様いかがお過ごしでしょうか。
私はというと、風邪をひいています。風邪をひいているのはいつものことですが、あまりにも咳が止まらないため、これは風邪ではないのかもしれないと不審に思っていたところ、知り合いが複数名肺炎に倒れたと聞き、深く考えるのをやめました。
みんな、風邪には気をつけてね。

さて、第3回目のウェブコラム、担当はデザイン局ディレクターの松本です。
好きなことを書いていいコラム、ということでとても悩んだのですが、今回は私が近年つい通ってしまう「ミュージカル テニスの王子様」、通称「テニミュ」について考えてみたいと思います。

皆さんは、テニミュについてどのくらいご存知でしょうか。「ミュージカル テニスの王子様」という名前程度は聞いたことがあるかもしれません。アニメや漫画、ゲームなどの二次元系作品の舞台化が非常に多い今日この頃ですが、テニミュはその先駆と言ってもよいでしょう。事実、テニミュのファーストシーズンは凄まじい旋風を巻き起こしましたし、現在上演中のセカンドシーズンも主要公演はほぼ即日完売という、根強い人気を誇っています。(※1)
私自身、今となっては舞台・ミュージカル全般にとても興味があり、月に数回は必ず観劇に行きますが、テニミュを知る前はそういった文化に全く興味がありませんでした。そう考えると本当に不思議に思います。テニミュは私にとって、新しい世界を知るきっかけの作品であったともいえるのです。
だからこそ、ただのオタク女子がキャラ萌えのために観ているだけではない、実のあるたくさんの側面がテニミュには含まれているということを皆さんに知ってほしいと思います。つきましては、私の考えるテニミュの魅力を以下にピックアップしていきますので、お暇な方だけどうぞお読みください。

テニミュの魅力①:キャラクター
テニミュのキャスティングは、事務所の偏りなども多少ありますが、大抵新人の演技経験のあまりないような俳優やモデルが起用されます。そんな彼らがひとりひとり、自分なりの解釈でキャラクターを分析し、演じていくのです。テニミュは特にロングラン公演ですので、私たちはそれらの公演を通し、彼らがキャラクターとともに成長していく過程を体感することができます。テニスの王子様という作品は試合という形でキャラクターがほぼ全員活躍できるようなストーリーであるため、各キャラに見せ場となるシーン、持ち歌があるのも魅力のひとつでしょう。キャストを好きになるのは単に顔ではなく、彼らの頑張りや個性を知った上でのことです。ただのミーハー女子ではないのです。

テニミュの魅力②:歌、ダンス
テニミュはミュージカルですので当然のように歌が主となってストーリーが展開していきますが、その歌がどれも素晴らしいと私は思います。ミュージカル音楽は基本的に聴きやすく、心に残るものが多いと思うのですが、テニミュはまさにそれです。とっても聴きやすく、そして私たちにも歌いやすいのです。ここでいう聴きやすさとは、メロディのわかりやすさです。歌詞もユーモアにあふれていて抜群の効果を発揮しています。そこは作曲の佐橋さんと、作詞の三ツ矢さんのお力でしょう。ファーストシーズンとセカンドシーズンではアレンジが違ってくるのもまた楽しく、飽きさせない工夫であるのだなと感じます。
また、ダンスもどんどんクオリティが上がってきています。キャストの中にはダンサーもいますし、それぞれの力量はまちまちな部分もありますが、とにかくよく動く。セカンドのテニミュは特にそれが顕著です。よく言われるのがブリミュ(※2)との比較ですが、歌もダンスも、ブリミュに負けないくらい成長してきていると私は思います。これからのテニミュに期待したいところです。

テニミュの魅力③:代替わり制
テニミュのキャストは代替わり制となっており、現在の青学(主人公リョーマの学校)メンバーは既に7代目です。代替わり制には様々な意見があり、代ごとに離れていってしまうファンもいますし、新たにつくファンもいます。一概に良しとも悪しとも言えない難しい問題ですが、私は代替わり毎の「卒業」という制度は悪くないと思っています。大抵千秋楽公演(※3)などでは最後のキャストコメントあたりで泣いてしまうのですが、「卒業」と言われると、寂しさも多少は和らぐような気がするのです。「卒業」後も舞台などで活躍するキャストはとても多いので、また応援しようという気力が生まれます。それによってテニミュ破産などという負の結果も生まれますが、それもまたありかな、と思ってしまいます。要約すると私はテニミュという作品がとても好きなのです。たしけ先生にありがとうと言いたい。

さて、まだまだいろいろありますが、このくらいにしておきましょう。テニミュは、多くのキャストやスタッフが誠心誠意、魂を込めてつくった作品であると私は思います。そのことを忘れずに、心から拍手を送れる気持ちの良い観劇ができたなら、それ以上のことはありません。タイトル「F・G・K・S 」はファースト時代のアンコール曲で、私の一番好きな曲でもあります。なによりも元気をもらえる曲です。皆さんに、少しでもテニミュの良さが伝わりますように。

文責:松本彩香



※1 テニミュはファーストシーズン(2003~2010)で一度原作コミックス分のすべての試合(東京都大会不動峰戦~全国大会決勝立海戦)を公演として行っており、現在はセカンドシーズン(2011~)として再び初戦から開始されるリメイク公演が行われている。

※2 「ROCK MUSICAL BLEACH」のこと。

※3 千秋楽は最終日のことを指す。つまり、千秋楽公演は舞台やミュージカルにとってのラストステージであり、より一層感動が深まる公演である。




(松本彩香)
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無題



道を調べずに、適当に動き回るのが好きだ。
目的地さえ決めなくてもいい。
ぶらり赴いた先での、様々な出会い、発見。
そうした過程こそが旅の醍醐味であろう 。

毎年、この季節になると高校の修学旅行を思い出す。
私の通っていた高校の修学旅行の目的地。
首都圏の高校ならば、海外や沖縄、北海道あたりがメジャーだと思うのだが、私の高校の場合、なんと、京都だった。
普通ならば中学で行ってしまう場所に、何故今さらという思いはあったが、大人しく受け入れるしかない。
中学の修学旅行とは違い、高校の修学旅行は自由行動の時間が多かった。ずぼらな私は、せっかく時間もあるし、周りもみんなそうしていたので、とりあえず大阪へ行こう、とだけ決めて電車に乗り込んだ。
いざ着いてみると、大阪という街は思っていたほど面白いところではなかった。一通りぶらついた後、やることもないからと日が傾くのを待たずに宿のある京都へ帰ってしまった。京都に戻ると、まだ少し時間があったので清水へ寄り、その後は適当に歩いて北上しながら 途中目についた建物に入り、出て少し歩いてはまた別の建物に入り、というのを繰り返しているうちに自由行動の時間が終わった。最後は門限ギリギリになって京都の街中を全力疾走した。
本当に、ただ歩いていただけと言えばそれまでかもしれない。だが、私にとっては、とてもかけがえのない時間だった。
特に京都は、ぶらついているだけでも、坂の多い道、古い建物、まだ微妙に緑を残しつつ色づいた紅葉、他にも色々の、見たことのないもので溢れているので、飽きない。それらを目にすることで、小学生の頃に持っていた、冒険心のようなものがくすぐられた。
あの日、私はクラスメイトの誰よりも、京都を満喫し、自由行動の時間を堪能していただろう。

情報社会においては、最短距離が好まれる。
今や小学生ですら持つようになった携帯電話にはGPSがついていて、ナビゲーション機能を持つ機種も増えてきた。ナビは最短距離、最速距離を割り出して、人々を急かす。
それは、都会の人間にとって、とても都合の良いものだ。
都会生活においては、最短距離が好まれる。
都会に住む、あるいは都会で働く人間は忙しく、電車が5分遅れただけで、駅員を怒鳴りつける者さえいる。駅の階段の位置を把握し、その階段からもっとも近いドアから降りるには、乗る駅でホームのどの位置にいればいいかを、緻密に計算する。それは、非常に効率的で、合理的だ。
だが、合理性が全てだろうか。
合理性にとらわれた人々は、階段から離れたところにあるキヨスクのおばちゃんが、とても気さくなことを知らない。
合理性にとらわれた人々は、普通だったら通過してしまう駅を降りた目の前に、穴場なレストランがあることに気づかない。
合理性にとらわれた人々は、馬場歩きで浴びる日射しの暖かさ、風の冷たさを感じることができない。
合理性から離れてみることで、新たな発見を得ることもある。目的地まで一直線よりも、寄り道ばかりの旅の方が、きっと何倍も有意義で、何倍も面白いはずだと、私は思う。
それに、迂回路を通った方が案外、最短距離より早く目的地に着けるかもしれないのだ 。科学の世界では、失敗だと思われた実験結果を、 じっくり検証してみることで、それが後々のノーベル賞受賞に繋がるというケースがままある。「急がば回れ」などと、昔の人は上手いことを言ったものだ。

最後に「旅」に行ったのは、今年の3月、受験が終わり、第一志望に落ちて進学先が確定して間もない頃に、高校の同級生である友人と自転車で行ったスカイツリーだ。大学に入ってからは、何かと多忙で、なかなか旅に行く暇が作れない。
知らず知らずのうちに、都会生活の忙しさに呑まれ、私自身も合理性を志向していることに気づいて嫌気が差す。


たまには、忙しい生活から抜け出してみようか。
先日東京駅に行ったところ、間もなく京都の紅葉は見頃を迎えると観光案内に書いてあった。
せっかくの機会だ。どうせなら近場じゃないほうがいい。
8ヶ月ぶりの旅は、3年ぶりの京都にしよう。

(中村宇明)

小足見てから昇龍余裕なら人生イージーモード

自由落下する女の子に魅了されること約三ヶ月。どうもはじめまして。Re:ALL製作委員会の新人運営長卯木です。

このたび当HPにて連載コラムをはじめるということで、デザイン一筋、まともにエディトリアルスタッフとして活動したことが一度もない僕が、僭越ながら先陣を切らせていただく運びとなりました。
見切り発車ではじめたこの企画。きっと僕の文章が金型になるのであろうな、はてどんな文章をどれだけの分量書いたものか、などと頭をこねくり回したのですが、やはり自分の好きなことについてまったくもって主観的に語るのが一番筆も進むであろうという結論に落ち着きました。

さて、みなさん自分の好きなものといったら何を思い浮かべますでしょうか。芸能人やアーティストのような「人」であったり、チョコやパスタのような「食べもの」であったり、はたまたスポーツや音楽のような「趣味」なんてこともあるでしょう。
じゃあ、お前は何が好きなんだと言われれば、それはゲームセンターという「場」なんです。ベストプレイス、というやつですね。

今や落ち目のアミューズメント産業であるとはいえ、ゲームセンターに一度も行ったことがない方はいないでしょう。その時あなたはなにで遊んだでしょうか?プリクラ、メダルゲーム、レースゲーム、ガンシューティングゲーム。一般的にはこんなところでしょうか。もしかするとクイズゲームや音楽ゲームをやったことがある人もいるかもしれませんね。
ですが、ここでお話しするのは「ビデオゲーム(※1)」その中でも「対戦格闘ゲーム(以下、格ゲー)」というジャンルの魅力についてです。

ゲームセンターに行ったことがあっても、格ゲーをよくプレイするという方は少ないと思います。それどころか、ますますコンシューマー(※2)化が進み、ネットを介した対戦も比較的快適に行われるようになった今、格ゲーをよくプレイするような方でもゲームセンターにまで足を伸ばすことは少ないでしょう。
格ゲーをはじめとするビデオゲームの衰退はこのような文脈でコンシューマーゲームの進歩と反比例で語られることが多いです。そんなわけで、ゲームセンターはこれからの生き残りを考えて家でもプレイできるビデオゲームよりは、音楽ゲームやメダルゲーム、プリクラといったような、ゲームセンターならではのゲームに力を入れざるをえないというわけです。もちろん音楽ゲームなどの場合には、専用のコントローラーまで付属したコンシューマー版も存在します。しかし、音楽ゲームだけのためにセッティングされた筐体でプレイするのとは快適度が天地の差です。大型筐体の流れでいえば「ガンスリンガーストラトス」なんかが目新しいタイトルでしょうか。残念ながら僕は三クレジットほどプレイして挫折しましたが。

本題に戻りましょう。先ほど例に挙げた音楽ゲームの場合には具体的に、専用筐体の存在、音響、画面との距離感、ボタンのセッティングなど、ゲームセンターでプレイすることに明確な利点があります。そんな中、家でもほぼ同じ(かそれ以上の※3)ゲームがプレイできる格ゲーを、なぜわざわざゲームセンターに行ってプレイするのか、ということです。
なんといってもやはり、一つ筐体を挟んだ向こうに対戦相手がいる、少し筐体の向こうを覗けば相手の顔がわかる、という臨場感でしょうか。これがたまりません。そこには、画面内の「このプレイヤー」ではなく筐体向こうの「あの人」に勝ったのだという快感が常につきまとうのです。勝利の瞬間に鳥肌が立ったことも一度や二度ではありません。
しかしながら、逆もまたしかり。負けたときの悔しさといったらコンシューマー版でネット対戦をしている時の比ではないのです。あまりに悔しかったのか、負けた人が筐体を叩く、蹴るなどのいわゆる台パン・台蹴り行為をしているのを見たこともあります。恥ずかしい話ですが僕自身、頭に血がのぼって何度も対戦を挑んだあげく、散財したことがないわけではありません。
もちろんこれらは褒められた行為ではないですが、それでも形はどうあれ、これだけの極端な感情を得られるのはひとえにゲームセンターという「場」の効果だと思うのです。

また、1プレイごとに100円玉を入れなければならないというのも、勝敗につきまとう快感や悔恨を増進しているのではないかと思うわけです。
勝てばそのまま居座ってプレイできるのですから、100円でより長く楽しめるわけですが、負けた時はもう一度100円を投入しなければプレイできません。当たり前ですね。とはいえ、単純なように見えてここには様々な葛藤が隠れています。
格ゲーにある程度のめり込んだことがある方ならわかるでしょうか。手持ちの100円玉が尽き、1000円札を両替せんとする時のあの苦悩。使うかどうかはともかく両替をするだけなのに、それだけでどこか負けた気がするのです。
しかし、もう一度戦いたい、あそこをもうちょっと工夫すれば勝てるはずだ、自分があの人より弱いわけがない、等々……思いをめぐらせた結果、つい両替という選択肢をとってしまうわけです。

そんな葛藤があっても、ついついやってしまうのは中毒性があるということなのでしょうが、ギャンブルをやるよりかよっぽど健全に「勝負」を楽しめるのは間違いないです。
ゲームセンターでしか味わえないであろう「あの」雰囲気をなんとか文章にまとめられないかと試行錯誤しましたが、やはり十全に理解するには実際に体験するのが一番だと思います。最初はプレイせずに後ろから見学しているだけでもいいですし、いきなり対人戦に挑むのだってけして悪いことではありません。そこでボロボロに負けるのもいい経験になるでしょう(ポッと出のルーキーが勝てるほど格ゲーは甘くありません)。負けたときに「もういいや、こんなんで100円すり減らすなんてアホらし」と思うなら、おうちでぬくぬくとRPGでもプレイしましょう。誰も文句は言いません。しかし、「悔しい、あの相手に勝てるようになりたい」と奮起するのなら、あなたはこの先格ゲーをプレイすることで様々な快感や絶望を得ることができるでしょう。

これを読んでいるあなたも100円玉を(10枚くらい)握りしめ、ほかでは絶対に得られないような刺激を求めてゲームセンターへ行ってみませんか?





※1 ここでいうビデオゲームというのにはシューティングゲームやアクションゲームから、果ては脱衣麻雀なんかも含みます。

※2 コンシューマー版とは、P○3やら、Wi○やらNi○ten○o D○のような家庭用機で発売されているバージョンのことです。

※3 というのも、コンシューマー版にはアーケード版には存在しないストーリーモードやトレーニングモードがあったり、場合によっては新キャラが追加されていることもあるのです。



(卯木諒太郎)

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