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リッこら

Re:ALL製作委員会は一枚岩ではありません。日々委員どうしが小首を傾げ合いながら 冊子を作っています。彼らは一枚岩というよりはむしろ、ガラクタの山のようです。どんなガラクタが埋まっているのか。とにかく委員それぞれが好きなものを書きたいということで始めたコラム、気が向いたら読んでやって下さい。ひょっとしたら、使えるガラクタがあるかもしれません。

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掃除レポート



突然だが皆さんは掃除好きだろうか。日常的に部屋を片付けたり、モノをあるべきところに収めたりしているだろうか。

私は昔から掃除が苦手である。というか掃除が好きではない。大体、動かなくても手の届く範囲にモノがなければ、狭い部屋にいる意味がないと思うのである。下手に片付けてしまったら(!)せっかくの快適ライフが失われてしまう。よくわからない写真や置物を飾っておけばわからないなりに部屋を彩ってくれるし、ベッドに付いている棚に本を重ねておけばいつだって本が読める。たくさん積み重ねれば重ねるほど崩落の危険も増し、快適な中にもほどよい緊張感が生まれる。重なりの微妙なバランスを楽しむなんて、ちょっと梶井基次郎の『檸檬』を想起させる気がする。文学的空間も演出できるというわけだ。また、床に服を積み重ねておけば、洗濯したものをいちいち箪笥に入れる手間が省ける。そこから服を選べば選択肢も少なく、今日の服はどうしようなどと思い悩む必要はない。

かくいうわけで私は普段部屋の掃除をしない。しかし上(家族)からの圧力がかかるといたしかたない。ここをやりすごそうとすると集中咆火で口撃されるのはわかっているし、それは避けたい。それに、こんな私でもごくたまーに掃除でもしてみようかなと思い立つときがある。

そんなとき、ふと冷静に自分の部屋を眺めてみる。机の上ではファイルが重ねられて、落ちんばかりになっている。床の上には服だけでなく、よく使うバッグとむだ紙が放り出されている。もう6月だというのにヒーターが当然のように置かれている。さらにカーテンを開けると、なぜかベランダに手作りのベンチが居座っている。
……なんなのだ、これは。家族から女らしくない、と言われるのも当たり前である。「それっておとこらしいってこと?かっこいいかも!」などと脳内変換していたなんて本物のバカである。すぐに掃除に取りかからねば。

まず目に入るのは大きなプラスチックの箱である。半透明なため、中身がよく見えない。大きさは45×60cmくらいか。これの中身を整理して、空いたところにいらないものを詰め込めば、かなりすっきりするに違いない。さっそく箱を開けると……。

・絵具(一回も使ったことがない。そもそも包装が解かれていない)
・お手玉(一度に扱えるのは2個まで)
・貝殻(後生大事にハンカチに包まれている。しかし特にこれにまつわる思い出はない)
・ポケモンカード(すごくハマっていた。今でも好きだ。しかし周りに好きな人がいなかったので1人で遊んでいたように思う)
・クレヨン(あまり使ったことはないが匂いは強い。箱を開けるとクレヨン色に空気が染まるといえば聞こえはいいか)
など

 … … …
我ながらいったい今までどんな人生を過ごしたらこんなものが残るのだろう。少しため息をつきつつ最後のモノを引っ張り出す。

出てきたのは手紙の束だ。小学生時代のものが中心になっているようだ。思わず見入ってしまう。1つ1つを読んでいく。このイチゴ模様の封筒は、小学1・2年生のころ通っていた学校の友人だ。私は転校が多く、もはや居場所が分からなくなってしまった人がほとんどだ。おそらく、その人たちとはもう会えないだろう。しかしこの手紙を眺めていると、確かに一緒にいたことを感じられる。たまらなく懐かしくなる。手紙だけじゃ物足りなくて、写真も探し始める。

気づけば夜だ。昼過ぎに掃除を始めたのにぜんぜん進んでない、むしろ散らかったように見えるのはなぜだろう。ぼんやりしていると、不意に以前も似たようなことがあったことを思い出した。そうだ、以前掃除をしたときも思い出に浸って半日が過ぎたのだ。そしてまた、今回も……。

さすがに慌てて床にある紙やバッグを片付ける。たったこれだけで部屋はだいぶすっきりした。箱を開けるよりはるかに効率がいい。

ちょっと片付いたことに満足して夕食に向かう。部屋に戻ればいつもより少し床が広くなっている。そのために1日費やしたような気になってきて、言いようのない充実感すら覚える。ひとはこれを「ひとりずもう」あるいは「自己満足」とよぶだろうか。しかしそれでもいい。私はきっと掃除に向いていないのだ。とりあえず、収入を得られるようになったらルンバを買うことが今の私の夢である。その頃にはぜひ、平面でなくても機能するよう進化していてほしい。

                        
                         佐藤真里

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アイドルに学ぶ努力論



こんにちは!
Re:ALL制作委員・編集局所属、1年の平山 貴之です!

今回、コラムを書かせていただくことになったんですが、「テーマ自由、字数無制限で、なんか書いてヨ」と編集長さんに言われても、僕みたいに普段からくだらんことしか考えてない人間は、そんなこと言われても困ってしまうわけです。

やっぱり、人様に語るに足る意見や思想を持っておくことは、重要ですね。
僕なんかは、普段「『ピンからキリまで』って言うけど、どっちが上でどっちが下なんだろう?」とか考えたり。(この疑問をツイッターでつぶやいたところ、フォロワーさんに「泉ピン子と磯野貴理子」という回答をいただきました。んなアホな)
「国内のアイドルに足りないものを、JKT48(48グループのインドネシア支部)のメンバーに見出そう」とJKTの公式サイトを覗いたりしてるだけなので、こういうときに語るべき話が思い当たりません。
(チームJのナビラ・ラトナ・アユ・アザリアちゃんは日本人が見てもガチで可愛い)


そんなこんなで、締め切りギリギリまで書くテーマに悩んだ挙句、「自分の好きなものの話をしよう」という、原点回帰的な結論に至りました。回帰です。おかえり、僕の脳ミソ。
やっぱり、特別な考えのない一般人に、誰かに伝えるに足る感情があるとすれば、それは“愛”でしょう。

ということで、今日は皆さんの貴重な時間をお借りして、僕の好きなものの話に付き合っていただこうと思います。お暇なら、最後までよろしくお願いします。


では、単刀直入に申します。
アイドルが好きです。
……そんなに構えなくても大丈夫ですよ。振り上げた拳も下ろしてください。
“ヲタ”というほどではありません。“ファン”ですので。

もともと関西に住んでいたこともあり、専門はNMB48です。なんだ専門って。
ですから当然、姉妹グループのAKB48にも、ほんの少し詳しいのですが、今日はそんな大衆ウケしそうなテーマは扱いません。
時流に乗った話をするのもあまり好きではないので、先日のいわゆる“総選挙”の話も致しません。
(ちなみに、JKT48のナビラ・ラトナ・アユ・アザリアちゃんは今回の選挙には立候補すらしていませんでした)

今日、僕がお伝えしたいのは、そんな表舞台に出られなかった、言わば日陰にしか咲けなかった、1人のNMB48のメンバーのお話。
感涙必至、ハンカチ必須です。頭痛薬があるとなお良しです。
……では始めましょう。


遡ること2年、第三回AKB48選抜総選挙でのこと。
……いやAKBの話すんのかい!総選挙の話すんのかい!とツッコんだあなた、鋭い。ただ、前フリとして必要な情報なので、もう少しお付き合いくださいネ。

このとき7位に輝いた、後の48グループ総監督・高橋みなみさんは、第二回より1つ順位を落としたものの、「ラッキーセブン!」と陽気にトロフィーを掲げました。その後のスピーチでの彼女の一言は、あまりにも有名です。

「努力は必ず報われる」

どこかで聞いたような、古臭い匂いさえする言葉ですが、彼女が言ったからこそ、誰が言うより重い意味を持ちました。
「身長が148cm、誕生日が4月8日で、プロフィールに“48”が多いから」という理由でAKB48の書類審査に合格し、その後一期生としてデビュー。発足当初から中心メンバーとしてグループを引っ張ってきた彼女。アイドルとしての活動にひた向きな姿から、プロデューサーの秋元康氏をして「AKB48とは、高橋みなみの努力である」と言わしめたほどの努力家として知られています。

なんかの漫画のセリフによると、「人の足を進めるのは、希望ではなく意思。人の足を止めるのは、絶望ではなく諦観」だそうです。
誰よりも努力を重ねた高橋みなみ先輩の「努力は必ず報われる」という言葉ほど、人に努力する意思を与える言葉があるでしょうか。
「いつやるの?今でしょ」も真っ青です。林先生、最近テレビ露出多すぎです。


しかし、2012年4月、「努力は必ず報われる」の言葉のもと、一枚岩に固まっているように見えた48グループの結束に、ほころびが見えました。
姉妹グループであるNMB48の研究生・原みづきちゃんの一言が、そのほころびの原因です。
……さぁ、ここで本日の主役・原みづきちゃん登場、と同時に、僕の専門分野に突入です。

まず、彼女の名前の表記には気を付けなければなりません。原み“づ”きです。Mi“du”ki。“つ”に濁点です。
NMBには、他に鵜野み“ず”きちゃんというメンバーがいるため、ファンはそこに敏感にならなければなりません。

この原み“づ”きちゃん、応募者数7,256人・合格者数26人のオーディションを勝ち抜き、一期生として見事NMB48に加入したものの、その後の活躍があまり目立たないメンバーでした。
正規チームのメンバーに選ばれず、加入時からずっと、研究生としての活動が続きました。
(48プロジェクトのグループには、たとえばAKB48ならチームA、K、Bというように、各グループに3つずつチームがあります。1チームは16人からなり、3チーム合わせて"48"人になるわけです。そして、チームメンバー48人に選ばれなかったメンバーが"研究生"となります。)
シングル選抜、カップリング選抜に選ばれた経験もなく、自分より後輩の二期生に追い抜かれ、自分の努力の成果を実感する機会が、あまりに少なかった環境。

そんな原ちゃんが、卒業を発表したのが2012年4月。
このとき、Google+の個人ページに掲載した、彼女のコメントが話題を呼びました。後に言う、「みづきはそうは思ってません事件」です。

「努力は必ず報われるって憧れている高橋さんが言ってたけど、
みづきはそうは思ってません」

全文、そのまま引用です。
……マジかお前。

原ちゃんが卒業してしまったいま、彼女の真意を知ることはできませんが、日の目を見ない期間をあまりに長く過ごした彼女にとって、この言葉は偽らざる本音であったろうと思います。
そんなに原ちゃんを責めないであげてください。トマト投げないでください。ナイフをしまってください。

とは言え、この発言はメンバー、運営スタッフなど各方面を騒然とさせ、あらゆる反応がありました。
NMB48のエースでありキャプテン、山本彩(さやか)ねぇさんは、Google+上で原ちゃんに個人的にメッセージを送りました。
(「山本彩」を「やまもとあや」と読んでしまうのは、関西では絶対のタブー。場所が場所なら、命すら危ういです)
他にも、直接的に、間接的に、48グループのあらゆるメンバーが、原ちゃんにメッセージを送りました。

そして最後には、プロデューサーの秋元康氏が、彼女に向けたコメントをGoogle+に掲載しました。AKB48プロジェクトのプロデューサーが、姉妹グループの、それも一研究生にメッセージを送る。異例の事態です。

「人生はマラソンだ。短距離走ではない。大切なのは、最終的にどこまで走ることができたのか。NMB48という舞台で報われなかった君の努力も、いつか報われるときがくるはずです」

かの名曲『川の流れのように』を思わせる激励の言葉。
しかし、メッセージの結びが
「原み“ず”き、頑張れ」になっているという、美しいオチが付いていました。
……頼んますよ先生!


そして、原ちゃんの卒業から2ヶ月後の、2012年6月。
第四回AKB48選抜総選挙において、原ちゃんが「憧れてい」た高橋みなみさんは、第三回より1つ順位を上げ、6位を獲得しました。
その後のスピーチでの彼女の言葉は、第三回と似た内容であったものの、厳しい現実を見据えた上で夢を諦めない、そんな更なる強さを感じさせるものでした。

「ある子は“努力は報われない”と言いました。運も必要かもしれない。でも、努力しなければ始まりません。私にとって、努力は無限大の可能性です」

総選挙の順位発表を観ていた人のうち、どれくらいの人がここに語られた“ある子”、原みづきちゃんのことを知っていたかは分かりません。しかし、原ちゃんの卒業、そして「みづきはそうは思ってません」の一言がなければ、このスピーチが生まれていなかったことは間違いありません。
原ちゃんも、このスピーチをどこかで聞いていたのでしょうか。聞いていたとすれば、その時どんな気持ちだったでしょう。憧れていた先輩の言葉を、今度はどのように聞いたでしょうか。


さて、そういえばこのコラムのタイトルを「アイドルに学ぶ努力論」にしていたので、この辺で秋元康先生の言葉をお借りしながら、僕なりの努力についての見解をまとめておきましょう。

「人生はマラソン。でも、それは短距離、中距離、長距離、いろんな長さのレースの連続になっていて、時には短距離走用のギアに切り替えて駆け抜けなければならないときもある。
今のレースで報われなかったように思える努力も、きっと次のレースで活かすことができる。
みづきはそう思います」

……完璧です。これが、僕の辿り着いた結論です。

僕は「努力について」という、人生においてとても重要なことをアイドルに教わりましたし、「世界で1番努力している職業はアイドル」と、けっこう本気で思っています。
それが、僕がアイドルを好きである理由の一つです。
今日は、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


追記:現在、NMB48を卒業した原みづきちゃんは、一般の個人としてツイッターを始めているそうですが、僕はフォローしていません。
卒業後のメンバーを深追いしないのが、正しいアイドルファンの姿だと思うので。
彼女の幸せを、ただ祈るばかりです。


グッバイ、零点!


 どうもRe:ALL新一年の先山です。編集局に入らせていただいたのでコラムを書かせていただくことになりました。

 さてさて何について書きましょう。さっきから少し書いては、内容が気に食わずに消すということを延々と繰り返しています。ああ、こんなことで「書く仕事」なんて勤まるのでしょうか。考えてみると昔から「隠し事」は得意ではなかったのです。親譲りの嘘がつけない性格で、子供の頃から損ばかりしていたのです。嘘がつけない純粋な性格だという訳ではありません。単純に頭が悪いのです。誰にどんな嘘をついたかなんて、いちいち覚えてられないのです。ついでに言うと、頭が悪いので一度に二つの事も出来ないのです。ギターもストローク奏法しかできませんし、ピアノも右手でメロディラインしか弾けません。右手で三角形を描いて左手で四角形を描くやつもできませんし、ドイツ語の試験の勉強しながらコラムを書くこともできません。

 そうなのです。実はドイツ語の中間試験前なのです。これについてはコラムを締め切りギリギリまで放っておいた自分がいけないんです。コラムを書くことはずっと前から分かっていたんです。でもまあRe:ALLですし。リアルを手に入れたいですし。ギリギリでいつも生きていたいですし。

 いやいやいや、すみません。ちゃんと締め切りに間に合わせます。このままだと徹夜です。それだけは避けたいです。まあドイツ語の勉強なんて楽勝だね~。もう余裕すぎるのでコラムに専念しますね~……とか、普段からちゃんと勉強していたなら言えたのでしょう。ああ、言ってみたかったです。死ぬまでに一度くらい。もっとちゃんと勉強しておけば良かった……でも、ちゃんとドイツ語の勉強のためにエヴァも見たんですよ。肝心のドイツ語はというと、それはそれは一瞬しか出てきませんでした。そして何よりエヴァに費やした時間すべてを1講義30分のオンデマンド講義の視聴に費やしていたなら、今頃にはもうとっくに必修分が終わっていました。時間の使い方が下手ですね。でも今回はなんとかしないと。そうだ!コラムでドイツ語の勉強をしたら一石二鳥じゃないですか!すごい!そうしましょう!

 まずは会話の基礎である返事の勉強から。「ja(ヤー)」の意味は「はい」、「nein(ナイン)」の意味は「いいえ」、「jein(ヤイン)」の意味は「どっちでもない」。そうです。実はドイツ語には「ja」でも「nein」でもない中間の「jein」が口語としてあったりするのです。NOと言えない日本人にはありがたいですね。スウェーデン語にも「ja(ヤー)」と「nej(ネイ)」の中間の「nja(ニャー)」があります。質問した時の答えが「ニャー」だったら笑ってしまいますね(笑)。ん?ちょっと待った。スウェーデン語の話なんてしている場合じゃないんですよ。それに、そもそも返事なんてテストに出てこないんでした。

 ではテストに出てくるものを、動詞の現在形の勉強をしましょう。まずbe動詞にあたる基本のsein動詞から。「ich(私)」に「sein」が付くと「ich bin」。そうそう「ich bin」といえば「Ich bin ein Berliner」というケネディ大統領のベルリン演説の締めの言葉で有名ですね。でも普通に「私はベルリン市民だ」と言いたいのなら「Ich bin Berliner」でよかったのだそうです。「ein Berliner」と言ってしまったせいで、ベルリン市民というよりは、揚げパン菓子「Berliner (Berliner Pfannkuchen)」という意味にとれるようになってしまったそうです。アメリカ大統領が演説の最後に揚げパン宣言なんてしたら笑ってしまいますね(笑)。ん?ちょっと待った。だからパンの話なんてしている場合じゃないんですよ。さっきからまったく勉強になりません。どうしましょう。パン?そうだ、暗記パンでドイツ語の勉強をしたら楽勝じゃないですか!すごい!そうしましょう!


 モグモグ――夜食じゃないですよ。ドイツ語の勉強です!――ゴックン。ふう、なんとか間に合いました。徹夜回避!これでぐっすり眠れます。

 と思いきや、あれ?外がほんのり明るい。うわ、もう早朝?今からではそんなに眠れましぇん。これではほとんど徹夜じゃないですか。ああ、やってしまいました。


 それに……どうやらさっきの「ドイツ語の勉強」は本当に夜食じゃなかったみたいです。

 朝飯前でした。

(先山 周)



物語という旅




 こんにちは。Re:ALL一年の栗山です。早くも文キャンの空気にも慣れ、とても充実した毎日でございます。
 さて、突然ですが皆さん…旅に出ませんか?この質問をしたら、おそらく殆どの大学生が「講義あるし時間ねえよ…」というような感想を抱くでしょう。当然ですよね。例外もあるとはいえ、一泊二日の旅ですら最低でも一日分の授業を全て切ることを覚悟しなければなりません。しかも一泊二日では自分のやりたいことも満足にできない場合が多いため、実際にはもっと多くの日程を確保する必要があります。それならば夏休みまで待てばいいじゃないか、と思う方も多いでしょう。しかし旅に行きたい人はそんな長い時間待てないのです。すぐそこにある欲望、それを求めてしまうのは生物として自然なことです。だとすれば一体どうすればいいのか?現実の経験の代替となるもの、そう、物語です。物語の世界にダイブしようじゃありませんか。

―①古典文学編
  まずは古典文学の世界でオススメの物語を一つ。菅原孝標女の『更級日記』。日記とはいえ、平安時代とは生活、風習が全く異なる今の我々は、『更級日記』を物語とほとんど同じような感覚で読むことができます。『更級日記』は受領階級の父の任地国である、上総国から京に帰る道々、京に帰ってからの生活を、現在の自分が過去の自分を回想するという形で書かれる、日本古典史上屈指の名作です(と僕は思っています)。源氏物語に陶酔した少女時代、そんな少女時代の自分をひたすらに悔やむ現在の自分。そのような作者の内面が表れやすい構図もさることながら、一話一話の状況描写がとてもうまく、当時の雰囲気が文字を通して読者の心に響いてきます。
高校時代にほぼすべてを現代語訳で、加えて重要部分を古語で読んでいました。友達には「そんなの読んで何が楽しいの?」とよく言われたものです。しかし、この物語では、平安時代の空気に触れながら旅をしているかのような感覚を味わうことができます。
 個人的に気に入っている場面は多々あるのですが、特に情景描写にすぐれている場面を一つ選んでみました。

富士の山はこの国なり。わが生ひいでし国にては西面に見えし山なり。その山のさま、いと世に見えぬさまなり。さま異なる山の姿の、紺青をぬりたるやうなるに、雪の消ゆる世もなく積もりたれば、色濃き衣に、白きあこめ来たらむやうに見えて、山の頂の少したひらぎたるより、煙は立ちのぼる。夕暮れは日の燃え立つも見ゆ。

訳:(あの有名な)富士の山はこの国、駿河にある。私が成長した国(上総)からは西に見えた山である。その山の様子は、全く世間に類のないほど素晴らしい姿である。(他の山とは)異なった山の姿で、(まるで)紺青を塗ったようである上に、雪が消える時もなく積もっているので、(それはちょうど)濃い紺青色の衣の上に、白い衵を着たように見えて、山の頂の少し平らになった所から、煙は立ちあがっている。夕暮れには火が燃え上がるのも見える。
                       参考:新明解古典シリーズ6 桑原博史
注:衵とは衣の上に着る童女の普段着です。単のように重苦しいものではなく、子供でも動けるように比較的軽く作られています。
 僕は富士山を表現する文章で、ここまで鮮明に情景を想起させる文章をいまだかつて見たことがありません。当時(およそ十一世紀)の富士山は活火山だったのだ、という歴史的事実の確認もさることながら、衣と衵の比喩によってまるで富士山を女性のように見立てているのです。その芸術的なセンスに驚くばかりですね。
  このほかにも、『更級日記』に収録されている話からは著者の作り出す多彩な風景や当時の風習、信仰、悩み、そして、“千年の時を越えても変わらないもの、逆に一変してしまったもの”など様々な事柄を知ることができます。少し変わった平安時代への旅へ、皆さんも一緒に行こうではありませんか!

―②マンガ編
 次に紹介するのはマンガの世界です。現代、特に日本ではたくさんのマンガが世の中に溢れています。正直どれから読めばいいのか迷っている方も多いと思います。今回は僕のコラムの主題に従い、物語の世界観に飛び込める作品をセレクトしました。
 その物語のタイトルは『マギ』。大高忍先生により少年サンデーで連載されている作品です。『マギ』の世界は中国風、オリエント風、ヨーロッパ風などの数多くの国々と、ダンジョンと呼ばれる数多くの迷宮が存在する世界です。様々な国家が乱立している世界で、アラジン、アリババ、モルジアナという三人の主人公たちが時に分裂しながらも力を合わせ、様々な困難を乗り切っていきます。それに加え、世界史上にかならず存在したに違いない、と思わせられるような国家間の策略の掛け合いなどの要素も多く含む作品となっています。
このほかにも『マギ』を面白くしている要素は枚挙にいとまがありません。その中でも最も『マギ』を面白くしている要素とは何か。それこそ、僕は魔法のような異能力だと考えています。『マギ』における魔法の類はとても複雑な原理で語られており、それだけでもう一つコラムがかけてしまうほどですが、マギにおける魔法には、簡単に言うと、自分の体内にある魔力に加え、自然界に漂い、世界のあらゆる現象を起こす源となっているルフというものを上手に扱って初めて使用できるという設定付けがなされています。主人公の三人や主人公の仲間たちが、炎や氷、雷といった魔法を駆使して数多くの敵と戦っていくということが、この物語の一番の醍醐味といえるでしょう。このような描写や表現は読む者にスリルを与え、自分がその世界に没入しているような感覚を与えてくれます。主人公たちはどのような方法でこの窮地を脱出するのだろう。この敵ちょっと強すぎじゃない?僕も読んでいて何回もこのような感想を抱きました。
そして『マギ』を際立たせている理由の一つが、様々な要素が複雑に絡まりあった世界や設定です。先ほど挙げた魔法に加えて、世界観、タイトルでもある「マギ」についての謎、各国の思惑など。とにかく『マギ』の世界観は非常に複雑な要素で構成されており、時に作者の設定が簡単に理解できず、頭を使って読まなければならない時もあります。しかし、このように世界観について考えることでさらに物語に没入し、まるで物語の世界を旅しているような感覚を味わうことができるのです。
③総括
 ということで『更級日記』と『マギ』の二つの物語の紹介でした。どちらの世界も現代とは全く異なる様相を呈しています。だからこそ現実世界を考えることなく、物語に没入することができます。主人公や登場人物に感情移入をすることにより、あたかも自分がその物語の一つのピースであるかのような感覚をきっと味わうことができるでしょう。そこで得た経験は似非経験ではありません。登場人物を通して得た本物の経験です。
 当然ここでは挙げきれなかった数々の物語が世には存在します。自分の興味があるものに手を伸ばしてみてはいかがでしょうか。活字の硬い物語が嫌いな場合でも、興味のあるマンガを手に取り、物語に全力で没入することで、物語への旅をきっと楽しむことができます。

                           栗山 直樹





ラジオの話



テレビは見ず、ラジオを聴くことが、昔から多かった。単純に部屋にテレビが無いからかもしれない。まあ、それを抜きにしても、テレビよりラジオが好きだった。今でもそう。ラジオのどこが好きなのだろう。おもむろに書いてみる。

ラジオは動きを縛らない。これは大きい。テレビは視線を、つまりは僕らの動きを制限する。当然だ。映像だから、画面が見えていないといけない。テレビの前から動けない、というのは実に厄介だ。だが、ラジオは違う。ラジオは僕らの行動を制限しない。音が聞こえている限り、僕らは何をしてもいい。ネットサーフィンだって、部屋の掃除だって、ドライブだって、聴きながら寝たって構わない。ウォークマンでラジオを聞けば、通勤通学だって楽しめる。本を開く余裕のない満員電車だって、イヤホンを挿せば苦痛が幾分和らぐ。まあ、人前で吹き出しそうになる危険と隣り合わせ、という点も、否定はしないが。

 ネットやアプリでラジオを聴くこともできる。そうすれば雑音が入らず快適に番組を楽しめる。また、あるアプリを使えば、今までは聞くことができなかった、地方局の番組も聞くことができる。地方のラジオ局には、キー局よりも面白い番組があったりするものだ。

テレビで活躍する人間が、ラジオ番組を持つことも多い。そういう人の場合、大抵ラジオの方が魅力的だ。大概の人間は、演じた姿よりも素の方がおもしろい。そして、ラジオはテレビよりも、話し手が素になりやすい場であるように思う。好きになった人の、より素に近い姿が見たい、と思うのは自然なことだろう。

リスナーはメールで話し手とつながれることも多く、テレビよりも身近に感じられる、ということもあるかもしれない。ただ、僕の場合、リスナーと話し手のやりとりが聴きたいわけではない。リスナーが参加する逆電コーナーなんか最悪だ。ラジオ以外でも言えることだが、視聴者や読者が参加する企画はつまらない。ラジオの場合、リスナーからのメールは、あくまでトークの種。それ以上でも、それ以下でもない。

大泉洋雑誌の取材で、
僕のラジオは『リスナーに向けて何かを発信している』という意識とは少し違うんですよね。僕と、後輩芸人のオクラホマの二人とのトークをリスナーの方はただ聴いてくれればいい、という感じなんです。ラジオを始めた当初、マイクの向こう側に聴いているリスナーの顔を思い浮かべなさい、みたいなことをよく言われたけど、そもそも僕は最初からそのつもりがない(笑)」と語っている。そう、僕は、話し手のトークを、ただ聞いていたいだけなのだ。「ラジオの魅力は話し手がリスナーに直接語りかけてくれるところ」だなんてひとつも思わない。


ラジオの魅力はたくさんあるが、一番大事なのは、単に、人の話を聞く、ということ。会ったこともない人の、他愛もない話に耳を傾ける。そのシンプルな楽しさが、僕はどうしようもなく好きなのだ。


矢野慶太



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