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リッこら

Re:ALL製作委員会は一枚岩ではありません。日々委員どうしが小首を傾げ合いながら 冊子を作っています。彼らは一枚岩というよりはむしろ、ガラクタの山のようです。どんなガラクタが埋まっているのか。とにかく委員それぞれが好きなものを書きたいということで始めたコラム、気が向いたら読んでやって下さい。ひょっとしたら、使えるガラクタがあるかもしれません。

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こんなクソみたいな業界滅んでしまえばいいよ!(ぽちぽち)



どうも、Re:ALLの卯木です。
ここにコラムを投稿するのは、これで2回目、半年ぶりになります。前回は随分私見に寄ったアーケード格闘ゲーム論を語らせていただきましたので、もしよろしければご覧になってください。
もしかすると、アレを読んで「ゲームセンターってやっぱり怖いところ……?」だなんて思われても嫌なので、少しだけ弁解させてください。
前回書いたように殺伐とした、良い意味でクライマックスに達した対戦が行われているのも確かですが、近年はプレイヤー同士の交流が活発だったり、初心者用の講習会や対戦会が開かれたり、女性プレイヤーも増えたり、と敷居は決して高くないと思うので、ぜひ一度ゲームセンターに足を運んでみてくださいね。
僕はゲームセンターに通った7年間で、一度も友達なんてできませんでしたけどね。

さて、今回のコラムではゲームセンターから少し離れまして、いわゆる「ソーシャルゲーム」について書いてみようと思います。


――『パズドラ』大躍進



最近だとこの『パズドラ』なんかが有名でしょうか。変に気取った雰囲気のCMもあってTVで見かけると本当にイライラします。一昔前には、『ドリランド』のCMも話題になりましたね。TOKIOとのコラボは誰得だったのでしょうか。
そんな『パズドラ』ですが、CMを打つだけあって巷では大人気。ゲームの過程にパズルを取り入れたことで、呆けながらクリックしているだけで進んでしまうような、従来のルーティンワーク的なソーシャルゲームとは一線を画したことも人気の一因でしょう。
それにしても、電車の中でスマホをいじくりまわしている人を見ると八割方『LINE』か『パズドラ』をやっているので驚いてしまいます。


――「ソーシャルゲーム」って?
「ソーシャルゲーム」と言っても多種多様、千差万別。どういった定義の下に「ソーシャルゲーム」などと呼ばれているのでしょうか。
そもそも、「ソーシャルゲーム」などというジャンル名がつけられたのはGREEなどのSNSを基盤にしたゲームであるから、というのが実際のところなのだと思います。しかし、今ではスマートフォンのアプリでゲームが配信され、そのアプリ内でネットワークが完結してしまうようなものも多く見受けられるようになりました。(先述の『パズドラ』なんかもそうですね)
そんな中でも、それらを含めて「ソーシャルゲーム」という括りはなんとなく存在しているわけでして。そこに共通する要素とはなんでしょうか。やはり僕は「ガチャ」と「フレンド」だと思います。その中でも、とりわけ「ガチャ」の存在感たるや、といったところでしょうか。基本的にソーシャルゲームの売り上げといえばガチャがメインなのですから、当然といえば当然ですね。

――1%の壁に屈した敗北者は数知れず
「ガチャ」とはその名のとおり、ゲーム内で「ガチャガチャ」を回すかのごとく新しい要素(カード、アイテム、キャラクターなどなど)を手に入れていく機能です。
有料ガチャの場合、ゲームによりますがおおよそ一度回すのに300円が相場といったところでしょうか。その時点でおかしい。それだけのお金があれば、うまい棒が30本も買えます。
さらに、ソーシャルゲームにおけるガチャには「レアリティ」がつきもので、出現確率が1%のレアリティなんてものも珍しくはありません。たとえ1%の幸運に恵まれたとしても、毎月のように追加されていく最高レアリティのカード群からお目当てを引ける確率はいかほどのものでしょうか。(注)ネット上の「ガチャにウン十万使った」だなんて書き込みもけして嘘ではないというわけです。

こういった仕組みは射幸心を煽るとして問題視されがちです。「コンプガチャ」に対して法規制が敷かれた話などは比較的記憶に新しいのではないかと思います。
ただ、僕がここでしたいのは「ガチャは良い、悪い」なんてどうでもいい話ではなく、「“何”が射幸心を煽り、“何故”人はガチャを引いてしまうのか」という話です。
例として先ほどの『パズドラ』について考察してみたいと思います。


――『パズドラ』は何故人気なのか?~ガチャのシステムから探る~


図1
 パズドラのガチャは図1のような画面で、「さげてね」と書かれている部分をフリックするとドラゴンのお腹から卵(緑、金などレアリティで色が違う)が出てきて、画面が切り替わり、手に入れたモンスターが表示されるといった演出の下に行われます。このガチャ、一見普通のようですが、ソーシャルゲームをいくつか比較してみるとかなり特殊なパターンだと言えます。
 一般的なガチャと異なるのは、演出が過剰であるという点と11連ガチャが無いという点。


図2

○演出
まずは演出について考えてみましょう。いざガチャをするという場合、一般的なガチャではワンタップでことが済みます。(図2で言えば、「1回勧誘」や「11回勧誘」のボタン)しかし、パズドラではそこであえてフリックをさせ、さらにはそのフリックに合わせ、ドラゴンの腕が下がるという動きまで加わります。たいした違いじゃあないと思われるでしょうが、この一捻りがここでは非常に重要なんです。
 みなさん子供のころガチャガチャをした経験が一度はあるでしょう。それを思い出してください。一番わくわくした瞬間はいつですか?ずばり、「レバーを回す瞬間」じゃなかったでしょうか。今回の例ではそれが「フリックの瞬間」に対応しているのです。
ここで重要視されているのは「自分で回した(手に入れた)」という感覚。それがプレイヤーの射幸心をことさらに煽ります。
さらには卵の色(レアリティ)が何か、そのレアリティの中でもどのモンスターなのか、そういう風に段階的に射幸心を煽る。パズドラを例に挙げた理由はこういった「総合的な機会の演出の妙」なのです。
こういった演出過剰なガチャといえば、他には『ガーディアンクルス』なんかが思い当たりますね。

○11連ガチャ
次に、11連ガチャが無い、という話です。一般的なソーシャルゲームでは図2のように、10回同時にガチャを引く場合、1回分のおまけがついてくる「11連ガチャ」というものの存在が定番化してきています(UFOキャッチャーの100円1プレイ・500円6プレイと似たようなものです)。
1回分のお得感をちらつかせ、10回分まとめて課金させようとする。これもまた射幸心の煽り方の1パターンだと言えるでしょう。事実、「11連ガチャを引かないならはじめから引かない方がマシ」と言われるほど、プレイヤー間に11連ガチャは浸透しています。
では、何故パズドラには11連ガチャが無いのでしょうか。それは前述の「演出」の重要さを理解しているがためにあえて実装していないのだと僕は考えています。
11連ガチャを実装してしまっては、ガチャを引くたびに得られるわくわく感を、1フリックで11回分一気に消化してしまうことになる、と言えるでしょう。プレイヤーによっては、11回“まとめて”という所に機械的な感覚を持ってしまうかもしれません。つまり、パズドラは「数字として見える、実際的なお得感」を提供することではなく、あくまで「かけがえの無い、一回性を持った体験」を演出することに重きをおいたということです。
とはいえ、「まとめ買いによるお得感」を切り捨てたわけではありません。パズドラのゲーム内では「魔法石」というアイテムを課金で手に入れ、それを5つ消費することで、ガチャを1回引くことができます。その値段設定には段階があり、1個85円~85個5200円まで。85個同時に買えば、1個ずつ買うよりも2025円お得ですね。
このように、パズドラではガチャではなく、課金のタイミングで「お得感」を強調してまとめ課金を促しているというわけです(とはいえ、こうした課金システムに加えて、11連ガチャを実装しているゲームもあります。両方で似たようなお得感を押し出してもあまり意味ないと思うのですが、どうなんですかね)。


――おわりに
パズドラを一例に、ソーシャルゲームにおけるガチャについて簡単に考察してみました。ガチャひとつとってみても、パズドラがここまで熱狂的に支えられている理由がわかっていただけたと思います。とはいえ、今回書いたことなんてパズドラが人気な理由の氷山の一角の中の一角といったレベルですし、ソーシャル“ゲーム”を扱ったのに、肝心のゲーム内容に関してはまったく触れていないというのも恐ろしい話ですが、ソーシャルゲームにおいて“ゲーム内容”なんてものは基本的に肝心でもなんでもないのでいいとします。
 ソーシャルゲームは知れば知るほどまったくもってふざけた集金システムだと思いますが、膨大な数が出回っているので、比較考察の対象としては非常に面白い。つまるところ、どうやれば一番プレイヤーが課金してくれるのか、儲かるのか。それをシビアに考えてできたシステムから、開発者の意図をいかにして汲み取るかというわけです。
今までまったく触れずに生きてきたあなたも、人間のクソみたいな部分で溢れたソーシャルゲームの世界を一度覗いてみてはいかがでしょうか。



P.S.
ちなみに僕は最近『ラブライブ スクールアイドルフェスティバル』にお熱です。これまた「音ゲー+ソーシャルゲーム」という、ソーシャルゲーム業界としては特筆すべきゲームなのでイチオシ。海未ちゃんSR二枚目手に入るかなあ。






図1…iOS app『パズル&ドラゴンズ』より
図2…iOS app『ラブライブ スクールアイドルフェスティバル』より


<注釈>
現在、アイテム取得確率が1/100未満であるものは基本的に規制の対象となってしまうのです。しかし、当然アイテムの数が101以上になったら確率はそれ以下になるので、直接は適用できないわけです。
それでは、ここで言われる1/100が実際どこに適用されているかというと、レアリティの部分。たとえば、【R】【HR】【SR】の三種類の確率のアイテムが出るガチャがあったとして、取得率はR=90%、HR=9%、SR=1%が相場です。とすると、もっともレアリティの高いアイテムは1%で手に入ると言えます。
ただ、当然レアリティ【SR】のアイテムも1種類じゃないのです。そうすると「レアリティ【SR】の中でも特定の○○というアイテム」を手に入れる確率は<0.01/レアリティ【SR】>となるのです。


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俺と妹。


『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』(俺妹)という、ライトノベルを原作とした作品群がある。そのタイトルからもわかる通り、いわゆる「妹モノ」でありながら、一方で「妹モノ」ではないとも言える。俺妹のストーリーの軸は妹ではなく、エロゲーや現代日本のオタク文化のほうにあるからだ。ここで興味深いのは、主人公の妹でヒロインの桐乃は、オタク文化の中に存在するあらゆるジャンルの中でも特に「妹モノ」を好んでいる点だ。一般的な「妹モノ」においては、兄妹間の恋愛が当たり前に起こる。それとは対照的に、「リアル妹」であるところの桐乃は兄に対しては恋愛感情どころか、むしろ嫌悪感を抱いている(ように見える)。兄の京介も同様で、2人は冷戦状態にあった。

私にも、実の妹が2人いる(他に義理の妹がいるわけではない)が、やはり妹に対しては、恋愛感情のようなものを抱くことはない。同じ親から生まれてきたとは言っても、あらゆる点で違いがありすぎる。妹は私と違って運動神経がよく、社交的で、友達も多い。ファッションにも敏感だ。趣味も違えば、話し方だって似ても似つかない。形質的なものに限れば、昔は「(顔が)よく似てる」といろんな人から言われたものだが、年を経るにつれ、特に第二次性徴期を経て、男女の違いが際立ってきたからか、あまりそう言われることもなくなった。
俺妹の主人公たちのように、会話がない、とか、極端に少ない、とかいうことはない。むしろ会話はとても多い。少なくとも、会話を通じてお互いの違いをはっきりと認識できる程度には。
当然ながら、妹のことは嫌いではない。そもそも、私の妹に対する感情は「好き」「嫌い」の2択で割り切れるような単純なものではないが、あえてどちらかを選べと言われたら、当然「好き」である。
だが、その感情は、どこまでも恋愛感情とは異なる。私はそれこそが「家族である」ということなのではないかと考えている。
あまりに見慣れているせいで、小さな変化には絶対に気づかない。恋人同士ならば、女のほうが「どうして気づかないの!?  この、鈍感男!!」と怒って喧嘩になってもおかしくないが、兄妹関係ではそのようなことは起きない。気づいてもらえなくても「あの人はそういう人だからね」で済まされる。そもそも、「妹が小さな変化を兄に気づいてほしい」ということ自体、あまり考えにくい。妹にとって兄は「兄」でしかないのだから。

世の妹いない系男子たちが想像しているほど、現実の妹には夢が持てるわけではないし、兄妹関係は情熱的なものではないのだ。

俺妹の兄妹関係は、ストーリーの進行とともに徐々に変質していく。初めは「同じ家に住んでいる他人」だったものが徐々に「兄妹」へ。
「兄妹」、それは当たり前の関係のようで、最近では案外、そんなこともないのかもしれない。私が中学高校の頃は――当時はみんな思春期だったからというのもあるだろうが――、周りと比べてみても、私たち兄妹の仲の良さはかなり珍しいものだった。具体的にどれくらい仲が良かったかと言えば、一緒に買い物に行ったり、カラオケで歌ったりといったことを普通にしていたぐらいだ(趣味も嗜好もまったく合わないので、それほど頻繁にやっていたわけではないが)。その仲の良さは、しかし、きっと「兄妹」だけがつくり上げたものではない。私には他に姉や、弟もいる。喧嘩をして、いったん兄妹関係が断絶しても、姉を経由するなどの迂回路が必ずどこかに存在し、関係の修復を手伝ってくれる。俺妹においても、主人公兄妹の関係を変質させたのは彼ら自身ではなく、周りの人間、特に「友達」だ。

俺妹の「兄妹」への切り口は斬新なものだった。しかし、それでも俺妹はラブコメの色が強い。2人の関係が無事「兄妹」へと変わっただけでは留まることができずに、その先を目指しているようなところが感じられる。妹と、妹ではない別のヒロインの存在が並び立つ形でストーリーを展開させていくようになるのだ。それはもはや「妹モノ」以外の何物でもない。
上でも述べたが、兄妹関係は恋愛関係ではない。前でも後ろでもない、別ベクトルへ進んでいる。その意味で、俺妹のアプローチはいささか中途半端だったように感じる。

兄妹関係にスポットを当てた作品としては、一迅社のぱれっとonlineで連載されている『妹はいいものだ』という4コママンガが絶妙な具合にリアルで良い。Twitterでも毎日一本ずつ更新されているので、ぜひ一度読んでみてほしい。


『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』の主人公兄妹(原作1巻より)。妹の桐乃は現在「タレント企画」として公式Twitter(@kirino_kousaka)を持つほか、実際に公式サイトから「お仕事」の依頼を出すこともできる。




『妹はいいものだ』のヒロイン「はるな」。

(ソトムラ)


『21世紀には不可能はないはずだろ?』


スマホ、駅の液晶ディスプレイ広告、iPS細胞…
科学(化学)技術が加速度的に発達し、SF映画に描かれた近未来がまさに訪れようとしています。なかでも興味深いのは、人間のように質問に応える『しゃべってコンシェル』や人の代わりに歌を歌う『ボーカロイド』です。
しゃべってコンシェルはまだ限られたことにしか応答できないとはいえ、人間の頼みに応じて適切なプログラムを起動させる機能には驚きです。ボーカロイドもまた譜面通りの音を出すだけのプログラムですが、今や世界を魅了するヴァーチャルアイドルになりました。
10代の多感な心情を機械の声音で代弁するボーカロイドたちは、本当に少年少女らの天使なのでしょう。ホログラムを利用したボーカロイドのライブは風変わりに見えますが、『Greeen』もバーチャルライブを全国で開催するそうです。2.5次元のライブスタイルが浸透する日も近いです。

また震災を受けて、災害対策用ヒューマノイドの研究が進んでいるという話も聞きます。原発内部で階段の上り下りや端末の操作などをロボットにさせる場合、最も適しているのがヒト型だからだそうです。男の子なら誰もが憧れたロボットアニメの世界が到来するかもしれません。

ロボットやクローンをはじめ『人間の製造』は人類の野望の一つです。しかし人間を製造しようとする試みは、フィクションでは大方悲劇を生みます。AIを人間に近づけるために人を研究に用いたり、失敗作のクローンが人間に復讐したり…… 悲しいことに碌なことが起きません。特にクローンは。iPS細胞のニュースを見る度、期待と同時に不安を感じずにはいられませんでした。しかし人間の好奇心には歯止めが利きません。僕がお爺さんになる頃には、その気になれば人間のクローンを作れるほどに研究が進んでいることでしょう。人間並みの知能を持ったロボットやクローンが生まれたら人間と衝突するに違いありません。人間同士ですら平和を維持できないですから。

フィクションで語られた夢が今にも現実になろうとしているのに、素直に喜べないのがつらいです。ロックマンエグゼシリーズでコラム書こうと思っていたのに暗めなコラムになってしまいました。エグゼでもシリアスなこと書きそうなので信仰告白(荒木飛呂彦信者)するのが正解でした。気分転換に(上司の名前にかけて)勇者特急マイトガインの挿入歌でも歌ってきます。

高田馬場駅であのメロディーを聴くと色々考えてしまう戸川でした!

(戸川旅人)

みんな◯ねばいいのに


どうもみなさん、こんにちは。
Re:ALLで(ここのサークル表記めんどくさい。)渉外局長(部下はいません。)をしてます、山名茉仁(まいとって読みます。キラキラネームじゃないです。)といいます。よろしく。
好きなものについてコラムを書け、などと言われました。
困りますね、困りました。
渉外はクリエイティブな仕事を求められない聖域のはずなのに、おかしい。
他の仕事を理由にぐだぐだ逃げ回っていたのですが、考えてみりゃこの企画、僕も言い出しっぺの一人でした。最低。
という訳で観念して書いてます、書いてます、書いてます。
これ以上グチグチしてるとただでさえ一桁くらいしかいなさそうな読者が測定不能な数値になってしまいそうなので、とっとと本題に入りたいと思います。

本題に入るといいましても、この企画、誰に向けてのものなのかよく分かっておりません。
「文化構想」なんて入れましてgoogle先生(goggleじゃないよ。)に探してもらうと、どうやらこのサークルのサイトが上の方にくるらしいですね。(子供の将来を心配して大学探しをしている親御さん達いたらゴメンナサイ。ここ役に立たないです。)
じゃあ将来文化構想学部に入りたい人などがこのコラム読んじゃったりするんじゃないかと一人得心して、未来の後輩に向けて書くような心算で書いてみようと思います。

好きなもの、普通に生きてれば色々あります。
映画観るのとか好きですし、ラーメン食べるのも好きです。野球も観ます。(早稲田に入るならヤクルトスワローズ応援しなきゃ駄目ですよ。)
漫画読むのも、ゲームするのも好きです。
もちろん、嫌いなこともたくさんあります。
「これから生きて行く為にやらなきゃいけないこと」は大体嫌いです。
しかも、僕は人生の使い方がへたくそですので、あんまり効率よく嫌いなことができません。
幸い寝ることも食べることも大好きなので死にはしないのですが、将来定職にはつけなさそうで困っています。

そんな僕が考えることはとってもシンプルです。
「好きなことを仕事にしたい。」
とはいえ、何をすればいいのか。
そもそも、仕事にしたいくらい好きな物なんて、あるのか。
好きって言っても色々ありますもんね。僕はチーズケーキが好きですが、ケーキ屋さんになったらどうせ三日で嫌いになります。実際大好きだった烏龍茶も毎日飲んでたら、水の方がおいしく感じるようになりました。
これから自分がどうするべきなのか、さっぱりわかりません。とりあえず置き石として僕が興味のある物の中から幾つか凄いなと思う話を挙げつつ、考えてみようと思います。

まずは、映画の話です。僕はゾンビ映画が好きです。いや、怖いのは嫌いなんですけどね、グロいのは大好きなので。隣のあの娘の内蔵も、見れるものなら見てみたいですね。
みなさんゾンビ映画はすきですか?
まぁ、「ゾンビすきですか?」なんてデートでしちゃいけない質問トップ100には絶対入ってる系クエスチョンですよね。良識のある女の子なら絶対「嫌!」って答えると思います。
でも、そんな彼女にもおすすめのゾンビ映画があるんです。
『ショーンオブザデッド』という映画です。B級映画好きの人なら絶対知ってると思います。
映画の内容はここでは特に語らないです。TSUTAYAは毎日旧作レンタル100円ですので、気になる人はすぐ借りて見るといいと思います。(GEO関係者の皆様へ。Re:ALLは現在TSUTAYA派を標榜しておりますが、協賛出してくれたら明日にでもGEOのシンパになります。ご連絡を。)
この映画の凄いところは、ゾンビ映画見たこと無い人でも絶対楽しめちゃうところです。こう言うと、ライトな映画なのかな、と思いますよね。でもその内容と言えば、全編コアな(ゴアじゃないですよゴアですけど。)パロディなのだから驚き。
ゾンビ映画大好きな監督が、同じくゾンビ好きの主演と二人で脚本を書いたこの映画、二人の熱いゾンビ愛に溢れています。
普通に考えたらそんな映画、ゾンビ嫌いとか、興味ないって人に見せてもしょうがないですよね。
でも、だまされたと思って観て下さい。TSUTAYAで。本当に面白いですから。俺自身、これが初めてまともに見たゾンビ映画なんですけど、以来地味〜にハマってます。
大体、自分が好きなものの話っていうのは他人に聞かせてもつまらないんですよ、普通。温度差ありますからね。温度差ありすぎて耳キーンなりますからね(適当)。ただ、この映画は違う。「好き」って気持ちだけで、そういう情熱だけで、全く背景知識のないような層にも訴えかける様な、おもしろいって“思わせる”ような、そんな映画になってます。
まぁ、そりゃもっと他に幾らでもマシな評論の仕方があるんでしょうが、ね。僕がこの映画を最初に見たときに感じたのは、そんな感じのことです。何かを好きになるってことが、こんな昇華のさせ方もあるんだなって、妙に感心したことを憶えています。世の中、ゾンビ映画から学ぶこともあるんですよ。

次に、特撮の話です。あ、別に僕自身は特撮好きって訳じゃないんですけどね。子供の頃観てたウルトラQと(昭和生まれとかじゃないですよ。)、後は村枝先生の漫画で得た偏った知識しかないです。(一番好きな怪人はヒトデヒットラー。)

そんな僕ですが、先日(といっても結構前ですね。)特撮博物館に行ってきました。(東京都現代美術館って凄いかっちょいいですよね、何度行ってもワクワクします。)
これがほんと、凄いんですよ。語彙がなくてスミマセン。ほんと、凄い。
何が凄いって、庵野秀明の特撮への愛が、凄い。凄い凄いうるさいですね。でもほんと凄いんですよ。一回ここでゲシュタルト崩壊しときましょう。凄い凄い凄い凄い凄い凄い。
僕はもともと美術館とか行く時は割にガッツリ解説とか読む派なんですが、この特撮展では、冗談抜きに全ての解説を読み切りました。庵野秀明館長自らが書いた解説の数々。その情熱にアテられました。
上でも書いたですが、許容量を超えた愛情って言うのは、時に無関係な人間にも強い感動を与えると思います。そんなにエヴァとか好きじゃない僕ですが(エヴァンジェリンよりも茶々丸の方がかわいい。)、思わぬところで庵野秀明に好感を持たされました。

『円谷英二が始めた日本の特撮は、精巧なミニチュアで作られた町や山や海を舞台に、 怪獣やヒーローやスーパーマシンたちが活躍し、見る者をワクワクさせてきました。
しかし現在、特撮は、デジタル技術の発展と共に形を変え、その価値を見直す岐路に立たされていると言えます。それとともに、特撮の語り部であり、貴重な財産であるミニチュアや小道具などは、破棄され、あるいは散逸し、失われつつあります。
本展覧会は、特撮のこうした状況を何とかしたいとかねてから考えてきた庵野秀明が、「館長」となって「博物館」を立ち上げた、というコンセプトのもとで開催します。』

これは特撮博物館の冒頭挨拶の引用です。凄いですよね。何が凄いかって?このやりとり二度目ですけど、「一特撮ファン」に過ぎなかった庵野秀明が、こういう形で特撮に“帰ってきた”ことが、ただただ、、、“凄い”。
いや、メカゴジラの着ぐるみも凄かったんですけどね。悩める青年の僕には、メカゴジラよりもこっちの方が感慨深かったです。
何かを好きであることの、最も幸せな帰結のカタチであると思います。うらやましいですね。できることなら……。まぁ、イメージすらわきませんけど。
今調べたら松山で巡回展やってるみたいですよ。超朗報です。みんな行った方がいいです。生まれて初めて愛媛に行きたいと思いました。(失礼)

だらだら続けてきました。もう三時回ってます。最初の締め切りから二ヶ月経ってます。編集は怒ってます。ガハハ!(空元気)
次で最後の話にします。もうそろそろ誰も読んでないですよね?じゃあ、一番すきなアイマスの話でもしよーっと。

アイドルマスターと僕の出会いは高校1年の2月です。当時クズで有名だった友人(過去形にしたのは誤りです、今もニートです。)に、無理糞ゲームを買わされたのが始まりでした。
みなさんアイドルマスターは知ってM@Sか?(きもい)
まぁ、僕も説明できないです。それだけ深いんだ!なんてきもいこと別に言いませんけど。自分でもよく分かってないから、言いません。分からないものを分からないままにしておく勇気ですよね。はい。
とりあえず、そういうギャルゲーがあるんだなって思っておいて下さい。ググってもいいですよ。時間あげます。

アイドルマスターの魅力は色々あります。まじめに語るには僕はプロデューサーランクが足りてないので(きもい)、ちょっとだけ、ちょっとだけ書きます。
僕は、アイドルマスターの魅力はフラグメントとしての魅力だと思っています。アイドルマスターというゲームに、そもそもストーリーと呼べるようなものは存在しませんでした。アイドル(ヒロイン)を育てるという大きな流れの中で、ひたすら、アイドルとプロデューサー(プレイヤー)との会話イベントが幾通りもあるだけでした。私たちプレイヤーはそうした個々のイベントの群れの中から、アイドルの個性の断片を見つけ出し、その人となりを想像するのです。
こうして見つけ出した断片と断片の間を想像し、繋ぎ合わせるのがアイドルマスターというコンテンツです。プレイヤーの数だけ、そのアイドル像も存在します。第一作となるアーケードゲームがリリースされてから、その楽しみ方の根幹は変わってないと思います。

唐突にまじめに語ってみました。きもかったですか? すみません。
まぁ、とにかく僕はアイドルマスターが好きなのです。あずささんと結婚して(きもい)、真きゅんに人口呼吸されて(きもい)、いおりんの僕になって(きもい)、美希たそに日々追いかけ回されているのです。(きもい)

僕は一年浪人していたのですが、浪人期間中もずっとアイマスアイマスしていました。
念願のアニメ化(初アニメ化ですよ!初アニメ化!)もあり、僕ははしゃいでいました。
本放送(深夜1時)を観て、2chで評判をチェックし、気に入らないヤツに一通り粘着していました。2週間遅れで配信されるニコニコ動画での再放送も欠かさずチェック、もちろん録画もしていたのでテープがすり切れるまで(嘘です。HDはすり切れません。)何度も観てました。
アニメアイドルマスターは、僕の心を掴んで離しませんでした。(超きもい)

なんでそんなにハマっていたのか、て、まぁ、わかんないです。(笑)
一番の理由は、そうですね、やっぱり、製作スタッフの多くが原作ゲームファンだったことだと思います。
アイドルの私服とか、毎週違うんですよ。製作スタッフ、楽しんでますよね。そうした楽しんでる感みたいなのもとても伝わってきて、あぁ、いいな、って。この人たちは自分と同じものが好きなんだな、って。
ここでようやっと上の話と繋がるんですけど、なにかが好きであることがこういった風にカタチになるって、ほんとうに素敵だと思います。憧れます。
自分はどうして一視聴者ってカタチでしか関われないんだろう。とても悔しく感じたのを思い出しました。一昨年ですけど。

とまぁここまで本当にダラダラ書いてみました。結局とりとめもない(しかも、クッソなげぇ)話になってしまいましたね。後輩に向けてなんて最初に息巻いた割には、口調がうざくなっただけでした。
結局これを書き終わった今でも自分が今後どうすればよいのか、なんて全然分かりません。当然ですね。考えてみよう、なんて言ったくせに想い出話並べただけだし。
でもみなさんにも僕の「好きなことを仕事にしてみたい」って気持ち、純粋な憧れみたいなものですが、少しは分かってもらえたかな、と思います。

とかなんとかいいながら来年には普通に就活してるんだろうなァ。
まぁ、いいや。
小学校の頃からずっと積ん読(死語)してた13歳のハローワークでも開いてみようかな。

おしまい

(山名 茉仁)

いかがお過ごしでしょうか?



春休みもいよいよ終盤。
2ヶ月もの空白の時間をみなさんはどう埋めたのでしょう。
サークル?バイト?旅行?
今どきの大学生じゃ、海外旅行とかしちゃっているのでしょうね。
なんだか最近は東南アジアとか人気だそうで。タイとか、ベトナムとか、カンボジアとか。まったく何の影響なのでしょうか。

ま、かくゆう私も行って参りました。6泊8日の三カ国弾丸ツアー。バックパッカーとか憧れますが、ここは安全第一に旅行会社にお世話になりました。



一カ国目、タイ・バンコク。弾丸ツアーということもあって、とにかく時間がない。自分の体力を過信して、実質1日しかない自由時間を余すことなく使いましたね。午前中にバンコク市内にある、王宮、ワット・プラケーオ(エメラルド寺院)、ワット・ポー、ワット・アルンを観光。ワットは「お寺」という意味。どの建造物も色鮮やかで大きくて、日本のお寺とはまるで大違い。美しや。


お昼を食べて、午後からアユタヤへ。バンコクからバスで1時間半。西日に照らされた遺跡群にご対面。夕方近くともあって、観光客も少なくゆったりした時間が。野放しわんこもちらほら。ゾウさんにも乗って、しっかりタイを満喫。夜にはライトアップされた遺跡群を。なんとも幻想的。



二カ国目、ベトナム・ホーチミン。

午後にタイから到着。早速、市内観光へ。一歩外を出れば、バイク、バイク、バイク……バイク!なんとベトナムではバイクに免許がいらないとのこと。排気ガスまみれの道を全員マスク装備で運転している姿はちょっと滑稽。そうした街中に、フランス統治時代に建てられたコロニアル建築物がちらほら。市民劇場、中央郵便局、聖母マリア教会など、不思議と街並みに合っている。不思議。


ベトナムは時間があったので、二日目はメコンデルタのツアーに参加。ベトナムらしくあの三角の帽子をかぶってボートに乗り、伝統音楽鑑賞し、ヘビを首に巻き、生春巻きを食べる。あ、いっぺんにはやっていませんよ。


最終日も市内をふらふら。統一会堂を周り、カフェでスイーツをむさぼり休息。十分満喫。



三カ国目、カンボジア・シェムリアップ。
目的はもちろんアンコール遺跡群。残された時間をすべて遺跡に注ぎ込む。
美しいアンコールワットの朝焼けを拝み、アンコールトムへ。アユタヤとはまた違った印象の遺跡群。仏像の顔の微笑みもまた少し違う。樹木が遺跡をまるで飲み込んでいるようなタ・プローム。その異様な存在感に圧倒。そして、再びアンコールワット。壮大な建造物に、精巧なレリーフに囲まれ、歴史を感じる……なんてね。いや、本当に感動。


最後の最後にベインメリア。「天空の城ラピュタ」のモデルのひとつであり、そこは本当に異世界。発見当時のままで、まさに荒廃の美。絶句。


と、淡々と書き綴りましたが、残念ながらこんな言葉じゃこの感動は伝わらないでしょう。かといって、事細かに旅の詳細を、感想を伝えるのもただの自己満足。

旅は自ら行くもの。



さあ、次はどこへ行こう。

(孕石 絵里)

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