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リッこら

Re:ALL製作委員会は一枚岩ではありません。日々委員どうしが小首を傾げ合いながら 冊子を作っています。彼らは一枚岩というよりはむしろ、ガラクタの山のようです。どんなガラクタが埋まっているのか。とにかく委員それぞれが好きなものを書きたいということで始めたコラム、気が向いたら読んでやって下さい。ひょっとしたら、使えるガラクタがあるかもしれません。

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謎のある日常


 推理小説、と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。最近は東野圭吾さんが大人気。特設コーナーがある書店も多いです。他には『謎解きはディナーのあとで』やら『ビブリア古書堂の事件手帖』やら、渋いところで松本清張、横溝正史・・・。
 あれれ、ドラマ化映画化された作品ばっかり。実は推理小説ってよく知らないかも・・・?

 そんなの、もったいないですよ!

 推理小説には様々なジャンルが存在します。本格、新本格、社会派、旅行モノ、歴史モノ、SF…などなど。私は中でも、とりわけ「日常の謎」と呼ばれるジャンルが好きです。

 「日常の謎」では、日常の中に潜む小さな謎を扱います。例えば学校の七不思議。例えばあの子が何も言わずに部活をやめた理由。例えば回転寿司屋で見かけたちょっと奇妙な客。「小さな謎が実は大事件のカギでした。」という小説もありますが、そういう小説は「日常の謎」とは呼びません。大抵の場合は探偵役とその周辺で解決し、大掛かりなトリックも無ければ死者も出ない、推理小説の中では穏やかなジャンルです。しかし、謎に対して明確な答えが出ない場合もあります。探偵役の推理がなんだか腑に落ちないこともあるかもしれません。また、大掛かりなトリックも生死の境にいる緊迫感も無いので、スリルを味わいたい時には不向きですし、映像化しても見栄えが良くありません。そのため、「日常の謎」は地味でつまらないと思われることもあります。

 しかし「日常の謎」の魅力は、その地味さの中にあると思うのです。死者が出ないので、「血生臭い話は苦手!」という方でも安心して読むことが出来ます。「日常の謎」の作品には、トリックや犯人探しそのものではなく、トリックを解き明かすに至るまでの思考の過程、登場人物の会話や心情に焦点を当てたものが多いです。そのため他のジャンルの推理小説とは違った独特の味わいがあるのです。また、「日常の謎」の作品の多くが短編連作で、ちょっとした空き時間に読むことが出来る手軽さも魅力です。

 「日常の謎」とは言いますが、現実の私たちの日常にそうそう謎はありません。あったとしても、気にしている暇も無く通り過ぎてしまうでしょう。しかし、小説の中の「日常」は小さいながらも魅力的な謎で満ちていて、謎解きをじっくりと楽しむ緩やかな時間が流れています。登場人物たちと一緒に、謎のある日常を楽しむことが出来るのです。             


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〆切ギリギリを迎えたときの対処法


 こんばんは。只今6月29日23時46分。明日はこのコラムの提出〆切だというのにこの時間になって書き始めるとは……。ビジョンも0。はあ……何を書こうか……。自分の興味関心のあることについて書くと、自分はWEAVERという神戸発3ピースピアノロックバンドが大大大好きなのですが。愛しているのですが。ただそれについてだらだらと書いてもただの宣伝にしかならなさそうだしな。あれですよね、お題が自由のレポートとかと同じですよね。今私がこのRe:ALLで担当させて頂いている誌面のデザインなんかもそうだけど、何も無いところから考えることって実は非常に酷なことだと思うのですよ。人はこれを「生みの苦しみ」なんて言ったりします。
 
 さて、何を書こうか。

 それにしてもなぜ私はいつもこう〆切間近にならないと事に取り掛からないのだろう。思えば小学校の自由研究のときも夏休みの最後の最後になって母親に泣きついて手伝って(というより殆ど全部やって)もらったんだよな。課題が与えられたその瞬間は、あれをして、これをして、あの本を読んで…なんて、色々思考を巡らせているのに、いつの間にか存在が自分の中から薄れていって、日は経っていって、思い出が増えていって、ああ蝉も少なくなったなあ、なんて思った頃に気付いて……そこから先は察してください。なんてことだ。

 どうしていつもこうなるのだろう。これは私だけなのか? じゃああれか、文キャン生になら伝わるであろうあの授業、そうオンデマンド授業。あれもまだ二桁残っているのだが。これも私だけなのか?なんか悪寒がしてきたため友人に聞いてみた。
筆者「ねえ、オンデマンド後どのくらい?」
友人A「あと23個! やべえ意識たけえww」
……聞く人物を間違えたのか。

 大体ここ文化構想学部には摩訶不思議なパーソナリティーをもつ人物が多すぎやしないか。一見テレビに出てきそうな麗しの美少女が「うえーい」を連呼していたり、ギャルっぽい風貌の子がコアなアニメの話をしていたり、カオスな世界がそこにはある。もはやここでは逆に普通の人が変だと言われてしまうんじゃ……。「なんで変じゃないの? 普通だなんて変だ! 」なんて言われても仕方ないんじゃないか。

 大体、「普通」ってなんでしょうか。私はよく第一印象と違うね、なんか変だね、と言われます。実によく言われます。そうですね、軽く100回は超えてるのではないでしょうか。とにかく、会う人会う人に言われ続けているので最近はリアクションが薄くて場の空気が気まずくなってしまうほどです。……おっと。自分のことなんて言ったって何も面白くない。冗談は顔だけにしてくれよな。

 話を元に戻しましょう。普通とは何なのでしょうか。大辞泉によると「普通;特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それが当たり前であること。また、そのさま」とある(デジタル大辞泉より引用)。

 この言葉通りに考えてみると、やはり我が文化構想学部では「うえーい」「わんちゃん」の連呼や、サブカルチャーにはまる人物が「普通」なのではないかと思えてきた。だってありふれてるじゃん。文カフェに行ったらいつでもどこかのテーブルでカードゲームが繰り広げられているし、この前座ったテーブルには美少年の絵が描かれていたし。「これ何だよ……机に落書きすんなよ……」と私が言うと友達の一人がすかさず「ミカサじゃん! めっちゃ上手い! 写真撮っとこーー」なんて言ってる。すると他の友人らもこぞって写真を撮りだした。後で聞いた話によると彼、いや彼女は今流行りの進撃の巨人の登場人物だそうで、イケメンに見えるが実は女性であった。知ったかぶりをして「彼本当にかっこいいよね! 」なんて言った私は大恥をかいたのですよ。ははは……そういえばサブカルに疎い私は他にも何回か恥をかいたことがあったな。この場合、机に絵を描いた人物、写真を撮った友人が普通で、私が変ということになりましょうか。そういうことだったのか。これからここ文キャンで「君、変だね」と言われたときは甘んじて「そうです。私は変な学生です」と受け入れることにしよう。

 何が普通なのかという問いの答えは決して万国共通のものにはならない、というのがここまでつらつら書いてきて出てきた結論です。例えば言語。日本には標準語なるものが存在し、恰もここ東京の言葉が普通であるかのように言われているけれども、関西に行けば関西弁が普通であるし東北に行けば東北弁が普通になる。換言すると、彼らにとっての標準語は関西弁、東北弁になり、言ってみれば地方では「標準語」だって「東京弁」「関東弁」と呼ばれることになるということです。
 
 そして結局何が言いたいのかというと、「普通」の定義付けはその背景となる社会、集団無くして決してできない。先程の辞書で極めて抽象的に書かれていたこともこれなら頷けますね。自分の所属している社会、集団の背景を知らずして、「君、なんか変だね」なんて言うのは無粋なことなのです。「みんな違ってみんな良い」それでいいじゃない。

 そして、最後に。このように、文章を書いていく中で物事を考えていく。ビジョンを持っていくのも、構想を練っていくのも、全て文の中。思いつくがままに、とにかく書いていく。これが〆切間近になって慌ててしまったときの一番の対処法であると私は考えています。
……根拠は? 以上の通りです。

                                   浅井 花怜

敵をプラスに捉えよう


今回Webコラムを書かせていただくことになりました1年の小迫千晶と申します。拙い文章だとは思いますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。
 「コラムという新たな敵が・・・がんばろう」これは、私が先輩からコラムについてのメールをいただいた直後にTwitterにつぶやいた言葉です。決してコラムを書くのが嫌なわけではないがやることが増えたことに対する不安で複雑な気持ちが、素直に現れていると思います。まぁコラムを書くことは早い段階で分かっていたのでやっていなかったのが悪いのですが。さて、私はコラムを自分の“敵”であると表現しています。冷静になって見返したとき、この“敵”という言葉が妙に引っかかったので、今回はこの言葉について考えて書いてみようと思います。

 敵とは何か。大辞泉から引用すると、次のようになります。
てき【敵】①戦い・競争・試合の相手。
②害を与えるもの。あるものにとってよくないもの。
他の意味もありましたが、上記の意味合いで使用することが多いのではないでしょうか。また、私たちが普段使用するときには、「自分の前に立ちふさがるもの、乗り越えるべきもの」といったニュアンスが含まれているように思います。

 では、日常生活にはどんな敵が潜んでいるのか考えてみましょう!学生にとって最大の敵といえば、やはり課題やテストといったところでしょうか。どんどん出されてたまっていくレポートなどの課題。自分の単位取得、ひいては進級に大きく関わってくるテスト。1日に1回は必ずと言ってよいほど話題に上りますね。また、まじめに勉強をしようとしたときに襲ってくる誘惑も強敵です。毎日の講義中や1限がある日の朝には睡魔と戦い、課題に取り組む際はケータイやテレビ、漫画を必死に遠ざけなければなりません。他にも、急いでいる人にとっては赤信号や電車の遅延は敵になりますね。小指をぶつける家具の角。嫌いな食べ物。苦手な動物。湿気。最近の私にとっては、雨の日に滑って落ちた学生会館の階段やすぐに再起動するケータイ、キウイが敵です。周りは敵だらけですね。こうして考えると、私たちは様々な敵と戦い、それらに勝ったり負けたりしながら日々を過ごしているわけです。

 ここまで読んでみると、“敵”とは嫌なものである、というマイナスのイメージを持つでしょう。というより、もともと敵という言葉に良い印象を持っている人はそういないと思いますが。しかし私は、“敵”も別の側面から見ると、非常に魅力的で欠かせないものになると考えているのです。それは、マンガやアニメの世界においてです。

 マンガやアニメ、その中でも特に少年向けの作品において、いわゆる“敵”キャラというものは非常に重要な役割を果たしています。また、“ライバル”という言葉も、“敵”という言葉がもっているような悪のイメージはないものの、主人公が倒し乗り越えようとするという点で敵といってもよいでしょう。主人公がいったいどうやって倒すのか、超えることができるのかどうか、読者・視聴者をハラハラドキドキさせてくれるのが敵の存在です。そのためには、敵は主人公や他よりも強かったり、賢かったり、才能を持っていたり、何かしら秀でたところがなくてはなりません。はじめから主人公のほうが勝っているとわかっていては面白くありません。敵やライバルは主人公を際立たせるために、主人公と同等またはそれ以上の魅力をもつ必要があるのです。そして、そのキャラクターが魅力的であるということは、たとえ悪役であったとしても自然とそのキャラクターの人気につながります。

 具体的な例をあげてみましょう。私が「魅力的な敵キャラといえば?」と考えた際にまっさきに浮かんだのは、『ジョジョの奇妙な冒険』という漫画のDIOというキャラです。DIOはこの作品において、主人公であるジョースター一族の宿敵であり、物語に大きな影響を及ぼした悪役です。邪悪で冷酷非道、そして圧倒的な力を持ったDIOはまさに敵のなかの敵である、と思っています。また、DIOは人気が非常に高いキャラです。先日行われた『ジョジョの奇妙な冒険 オールスターバトルリーグ』というPS3のゲーム参加キャラクターの人気投票においては、第一部の主人公についで二位という結果になりました。主人公の敵である悪役の立場にありながら、また最終的には主人公に敗北する立場でありながら、その強い個性と高い能力、奇想天外な攻撃は、ファンの心をつかんだのです。

 このように、同じ物事でも別の側面から捉えると新たなイメージが生まれることがありますよね。私の例えがピンとこなかった人は、どうぞ自分の好きな漫画やアニメに置き換えてみてください。マイナスのイメージをもった“敵”という言葉も、少しはプラスのイメージになってきたのではないでしょうか。このコラムも最初に厄介だと構えていた割には楽しく書き上げられましたしね。それは強敵だったからこそだと思います。この調子で、“敵”のイメージを改めて、大量の課題やテストもプラスに捉えられるようになるといいですね。

ツイッターのある生活



少し前にツイッター上で流れていたツイートに、「1日100ツイート以上する女子に対しての、男子の評価は?」というものがあった。
その酷評たるや凄まじく、「気持ち悪い」「頭がおかしい」「ネット依存症」「自分の存在を知らしめようとしている感が伝わっていやだ」などと全面否定。1日100ツイートとは、睡眠時間を考慮して単純計算すると10分に1回の頻度だ。確かに一般女性にしてはやや多いかもしれない。タイムラインが常にその人のアイコンで埋まり、他の人のツイートが流れていってしまうことに嫌悪を感じる人もいるだろう。先ほど取り上げた反応はごく一部の極論的なものではあるが、一概に誤りだとはいえない。
現に私の読んだ女性向けファッション誌に載っていたとあるツイッター講座には、ツイート数は1日5~10程が目安とあった。その日のランチの写真、友達と見に行った映画の感想、それに対するリプライなどなど、“近況報告かつ日記”としてツイッターを活用するよう、その記事は勧めていたように思われる。

しかし私の周囲のユーザーたちは、冒頭のツイートに対して反発心を露わにしていた。ツイッターは自由に発言をしていいものなのだから、何ツイートしようとこっちの勝手だろうという意見が主だ。確かにこの縛りのない表現の場で、人に気を遣って呟きを遠慮するのは本末転倒に思える。
ここで注目したいのは、ツイッターの「目的」という点において、1日100ツイート以上するユーザーと、その行為を否定するユーザーは、決定的にすれ違っていることだ。人に見せるために呟いている人と、自分のために呟いている人で、その意識は全く異なってくる。
この認識の差異が悲しいすれ違いを引き起こすのだ。

 私はツイッターを始める以前、このようなSNSを毛嫌いしていた。高校一年生くらいの時からクラス内でツイッターが流行り出し、友人との日常会話のなかでも「昨日○○ちゃんがツイッターで△△先輩と絡んでてさー」という噂話が増えた。正直、どうして誰もが閲覧できるSNSのような場で軽率な行動をするのか……と理解しがたく思っていた。当時ガラケーを使っていた私はツイッターに縁遠く、ああそういうの流行ってるよねと一歩引いたスタンスでいた。
 しかし、結局時代の波には逆らえず。高校二年生の時に好奇心からアカウントを取得し、ものは試しと「趣味用アカウント」を作ってみた。私は読書が趣味だったので、某作品のファンとして、匿名で年齢を伏せツイッター環境を楽しんでみることにした。何せ私には経験が欠けている。自身のツイッター偏差値を上げ、いずれ作る「リア友用アカウント」を効果的かつ安全に使う方法を見出そうとしたのだ。

 丸い卵のアイコンを適当な写真に替える。プロフィール……よくわからないから好きな作家さんを書いておく。不安だったので、参考にしようと他の人のプロフィール画面も見てみた。「お別れはブロックで」?ブロックって何?……取りあえず、ツイート検索で趣味の合いそうな人を探し、その人のツイートを観察してみる。自分のツイート数がゼロのまま誰かに絡む勇気はなく、数日だらだらとひとり呟いてみた。 
 15ツイートしたあたりで、5人ほどをフォローしてみた。ちなみに挨拶をせずにフォローしておいた。そのうち「フォロありです!」というリプライが返ってきて、ふぉろありってなんだ?と首を捻る。そしてしばらくしてから、最初にフォローする時はひとこと挨拶をすべきだったか?と思い焦る。フォローを返してくれたのは5人中3人だった。私はその人たちにお礼のリプライを返したあとに、なにやらどっと疲れた気分になった。

 そして、気付く。匿名で赤の他人とつながることと、実名で既知の友人とつながることは、もう根本的に別物なのだと。
 結論から言うと、私の「趣味アカ」での経験はまるで役に立たなかった。
 それどころか数々のよくわからない作法に詳しくなっていくばかりだ。「話したこともない人に直接リプライするのもアレだから…うん、ふぁぼっておこう」「リツイートしてくれた人は趣味が合いそうだし、フォローしてみようかな」。手探りでツイッター環境を開拓し、毎晩寝る前の30分ほどはツイッターにあてていた。気付けば“実験”だった趣味アカウントは充実し、なかなか話の合うフォロワーさんも増えてきた。

 ここで忘れてはならないのは、この時点で私のツイートはほぼ「自分のためのもの」だったということだ。平均して1日に15~20ツイートほどではあったが、私は誰に向けた訳でもない自己満足の感想や意見を、爆弾のごとく投下していただけだ。
 そのおもむろな「呟き」――自由で、縛られない、ゆるい投稿――をふとした瞬間に別の誰かが拾って反応を返してくれること、にツイッターの魅力がある。共感してもらえれば嬉しいが、スル―されたとしても特に気にしない。ふわふわした輪の中で、他人同士が勝手に呟き合っているという不思議な状況がこのツールのミソだ。

 そう考えると、私は1日100ツイートする人を否定できない。否定も肯定もせずに、ただ「ああ、そういうツイッターとの付き合い方なんだな」と納得する。もしどうしてもその考え方が合わないと思ったら、残念だがそっとブロックをすればいい。去る者追わずのゆるやかな連帯は、それを往々にして許す。
 
 大学受験が終わった今年4月に、私はようやく実生活用のアカウントを作った。中高の友人、大学やバイト先で出会った新しい友人・先輩……まだ始めて数カ月だがタイムラインはとても賑わっている。こちらでは主に「実名のツイートが他人に見られること」を前提に投稿するようにしている。つまり、「近況報告であり日記としてのツイッター」を私は利用しているのだ。
 多様な側面を持つツイッターに正しいやり方はない。それぞれが自分の哲学・常識にのっとり、様々な理由でタイムラインを覗く。暇つぶしの場であり、ストレス発散の場であり、交流の場であり、画面の向こうに生身の人間がいる場である、というやや矛盾した環境の中で、どのようにツイッターと付き合っていくか……自分なりに決めていきたいものだ。
 
 
                                 近江 由圭                     

兵器と二次元少女



 どうも、一年の高野です。何でも一年生は全員このコラムを書くということでお鉢が回ってきてしまいました。
過去のコラムでは何人かの先輩が自分の好きなものについて書いています。私の場合、自分の好きなものといわれてまず思い浮かぶのが兵器(特に第二次大戦頃のもの)と二次元少女です。前者は小学五年生の頃に零戦搭乗員の回想記を読んで以来、後者は中学二年生の時に泣けるというあるアニメを見て以来の好物となっております。どちらも決して大多数の人が好むようなものではないけれど、珍しいとも言えません。そこで、この二つをあわせて考えれば多少はありきたり感から逸脱できるのではないかと考え、兵器と二次元少女について少しばかり語ってみたいと思います。

 兵器と二次元少女といえば思い浮かぶのは二次元少女が銃火器や刀剣を手にして、もしくは戦闘機などに乗って戦うといった絵柄でしょう。ではなぜ兵器と二次元少女を組み合わせるのでしょうか。それは、萌えと燃えの両方を求めたからではないかと思います。可愛い女の子(広い意味で萌え)と熱いバトル(燃え)とがそれぞれ好きな人というのは少なくないわけですから、単純な話、その二つを組み合わせることで両方のニーズを満たすことができるのです。さらに、戦闘時に兵器を使用することで兵器の類にかっこよさを感じる人たちの需要も取り込めますし、男性だと兵器に漠然とではあってもかっこよさを感じるという人は多いと思いますからそういった人たちの気を引くきっかけにもなります。また、一般に男らしいとされる兵器を少女が使用することでアンバランスさから来る萌えを生むことも可能になります。兵器と二次元少女の組み合わせというのはこういった需要を詰め込んだ結果生まれたものなのではないでしょうか。

 さて、兵器と二次元少女について考えるときに個人的に重要なのは銃火器および兵器が実在しているもの、もしくは実在するものを元にしたものであることです。要するにSF的、未来的な要素が多くないということです。例えば、ガンダムやマクロスなどはSF的な架空のシステムを積んでおり、それっぽい技術的な設定がついていますが、実物の兵器に比べると単純なものが多く、また、歴史を経た故に持つ重厚感が足りないからです。もちろん、そういった架空の兵器の出てくる作品にもバトルもの的な面白さやかっこよさはありますが、それは実在の兵器を愛でるのとはまったく別のジャンルに属することなのです。兵器の魅力は機械的な作動システムや経験してきた歴史にあるのです。考えてみてください、銃の先が光ってビームが出るだけという兵器と、引き金を引くと発射薬に衝撃を与え発火させ弾を発射、発射と同時に一部の部品が後退し撃殻を排出、さらに後退した部品がばねで元に位置に戻る力を利用して弾倉から弾を新たに装填するという作動システムを行う兵器とでどちらが魅力的でしょうか。さらに後者に関しては歴史によって、作動システムに説得力という現実感、つまりは重みを与えられます。この二つでしたら私は後者の実在する兵器のほうが断然に、比較できないくらいに魅力的だと思います。

 次に二次元少女についてですが、問題となるのは服装です。現実の場合は、巻脚絆や飛行服などを着用したりしますが、物によっては二次元少女の可愛さを損なうことがあるのです。例としては第二次大戦頃の飛行服(もこもこしたつなぎ)ではないでしょうか。ラストエグザイル(第一期)などではヒロインが飛行服を着ていますが、ヒロイン自身はともかく服装は可愛いとは思えません。そのためか多くの場合可愛く見えるようにアレンジされるわけですが、そうするとその服装が本来持っていた実用性、リアリティが失われます。こういったことに少し前まで苦悩していたのですが、去年の暮れにガールズ&パンツァーで女子高生がセーラー服を着て戦車のハッチから身を乗り出しているのを見て、服装は可愛ければ何でも良いのではないかと思い始めていたりもします。意外とテキトウでした。兵器のそのもののリアリティに関しては譲りませんけど、服装に関しては可愛さが大事というのが現状の考えですね。
 
 ここまで、兵器と二次元少女について、極めて個人的な考えを述べてきました。擬人化物はどうしたという意見があるかもしれませんが、私の好みではないので無視します。ああいうのって兵器の原型留めていないのが多い……。これを読んだあなたも重厚な兵器と可愛い二次元少女の織り成す世界を味わってみてはいかがでしょうか。

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