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リッこら

Re:ALL製作委員会は一枚岩ではありません。日々委員どうしが小首を傾げ合いながら 冊子を作っています。彼らは一枚岩というよりはむしろ、ガラクタの山のようです。どんなガラクタが埋まっているのか。とにかく委員それぞれが好きなものを書きたいということで始めたコラム、気が向いたら読んでやって下さい。ひょっとしたら、使えるガラクタがあるかもしれません。

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ここで役に立たない話でもしよう。


こんにちは、もしかしたらこんばんはかもしれませんね。まぁともかく、どーもドーモ。羽山諒と申します。どうかドウカよろしくです。

いきなりですけど、こんにち「は」なのか、こんにち「わ」とかいう日本語の問題に引っかかる人っていますかね?

一応、正解を言っておくと「は」ですよ。えぇ。

「今日はご機嫌如何ですか?」の省略が「こんにちは」ですからね?

まぁ全部テキトーな事言っているだけですけどね。

私の口から漏れた言葉は基本信じない方がいいと思いますよ。えぇ。

そんな私の戯言に付き合ってくださる。優しい、いや、暇な方が居たら、その、まぁ、この薬にも毒にもならん話を聞いてくださいよ。



いやですね。私は些細な事に疑問を抱いて抱いてしょうがないのですよ。

例えば、皆さん某高級イタリアン料理店に行ったことありますかね?サ○ゼリヤってとこなんですけど。

そこでペペロンチーノを頼んだとして――もしかしたら貴方はペペロンチーノなんて食べたりしないかもしれませんが、まぁ例え話なので――貴方の目の前にペペロンチーノがきたとしたら、貴方は普通にペペロンチーノを食べるのでしょうけど、気持ち悪い私は疑問を持ってしまうのですよ。


「このペペロンチーノは本当にペペロンチーノなのか?」


みたいな気持ち悪い疑問をですね。抱かざるを得ないのですよ。

いや、大変恥ずかしい話なのですが、私はペペロンチーノを作ったことがないのです。そんな無知な私が頼んだ《ペペロンチーノ》という食べ物は果たして本当に《ペペロンチーノ》なんでしょうか?

なんでサイ○リヤがキチンと、しっかりとした《ペペロンチーノ》を私達に提供するという事実がある気になっているのでしょうか?


『食べてみて、慣れ親しんだペペロンチーノの味だったらペペロンチーノだろ』


なるほどなるほど。食べてみてペペロンチーノだったらペペロンチーノですね。

でもそれだとおかしくないですか?


「それでは何故、メニューで注文を選ぶ際に、まだ食べていない時、非常に無知な状態、それがどんな味で、どんな食べ物とわかっていない状態で《ペペロンチーノ》という食べ物を選んだのか?どこにその自信があるのか?」


こう言われると解答に悩みませんか?ん?なんか意見がありますか?何々。


『私はメニューで注文を選ぶ際に、《ペペロンチーノ》を選択したのはサイゼ○ヤが《ペペロンチーノ》を作ってくれると信頼しているからです。だからこれは確かに《ペペロンチーノ》なはずです』


おぉ!!なるほど。確かにこれで大丈夫かもしれない。自分が《ペペロンチーノ》について知っていて、お店が確実に《ペペロンチーノ》を出してくれるっていう前提があるなら、大丈夫そうだ。これで私も安心して食べられます。

でもちょっと待ってください。そうするとこれが問題になりませんか?


「自分が考える《ペペロンチーノ》と、店が考える《ペペロンチーノ》は共通した《ペペロンチーノ》なのか?」


という疑問はどうなるのでしょうか?

何だこいつ?と思われるかもしれませんが、意外と言語のミスはあるのですよ。

例えば《dick》という単語がありますが、ドイツ語と英語で意味が違います。

ドイツ語→太い、厚い
英語→男性器、刑事

こんな感じで違うのですよ。

だからドイツ人がアメリカ人に向かって「君は太っているね」と言うために「君はdickだねぇ」とか言うとアメリカ人には「君はチ○コ野郎だな」と馬鹿にされているように感じて喧嘩になると。

この話だとドイツ人もアメリカ人も《dick》という単語は知っているけど、頭に思い描いている内容は全く違うということになりますね。これと同じことがサイゼリ○の話でも当てはまるかもしれません。


店も自分も疑問に思ってない。けど、もしかしたらお互い大間違いをしながら《ペペロンチーノ》のやり取りをしているかもしれません。なんか、得体の知れない気持ち悪さがつきまとっている気がします。そう思わない?残念です。



まぁ、ここまでダラダラと話しましたが「このペペロンチーノは本当にペペロンチーノなのか?」という疑問に私の答えはこうです。「まぁ、世の中には私の知らないことが沢山あるのだろう」と。まぁ、つまりは答えが出ないから逃げているだけですね。そしてペペロンチーノと言われているものを口に含んで「とりあえず、なんか美味しいし、まぁいいや」と感じるわけです。

ここまで読んだ人には肩透かしを食らったかもしれません。だから冒頭で言ったでしょ?薬にも毒にもならないって。

ただ、このつまらない話を読んでくださった方をこのまま帰らすのもあれなので、やっぱり役に立たないかもしれないことを言わせてもらうと、この世の中には「謎を謎のまま終わらせられない」可哀想な社会不適合者がいます。

だから、その、皆さんもそのような人を見かけたら相談にのってあげてください。多分、それだけで彼らは救われると思います。



まぁ、全部テキトーに書いたことなのですけどね。本当に時間の無駄使いお疲れ様です。

羽山は悪くないですね。あぁ、説明が遅くなりました。これを書いているのは実は羽山でなくて誰かです。代筆しております。

今、貴方は羽山が書いたと言われるこの記事を読んでいますが、これを羽山が書いている姿見たことはありますか?ないですよね?

だからこの記事を羽山が書いたなんて証拠はないのですよ。じゃあ誰がこれを書いているのですかね?さぁ、僕にもわかりません。

まぁこれもテキトーな嘘ですけどね。すいません。めんどくさいの好きなのです。

それではそろそろ自分の記事はここで終わりにさせていただきます。さようなら。「サヨナラだけが人生だ」(注1)

匿名希望


(注1)「歓酒」作詞・干武陵、訳・井伏鱒二。から引用。
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残飯についての考察


 最近はとても暑いですね。夏ですね。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 悪夢のような受験を乗り越え、合格を知らせる電話を1日3回以上繰り返し聞き、入学式でかわいい女の子をナンパしたけれども気づけばヨッ友になっていて、仲のいい友達は増えず、あれ? 大学ってこんなところなの……? と若干絶望しつつもなんとか意識を高く持とうと努力をしていたのがつい昨日のことのようです。もう数か月が経ってしまったのですね……。今ではそのような生活に良い意味では慣れ、悪い意味ではたるんでいます。合格直後には大学に様々な思いを馳せていました。色々な先生の話を聞いてたくさん勉強しよう! 人もたくさんいるし、きっと友達もたくさんできるよね! 新歓もたくさん行っていろんなサークル入ろう! あわよくば恋人だって………。みなさんご察しのとおり、何一つ叶ったものなどなかったのでした。

 さて、そんな私は7月1日をもちまして新しい肩書をいただきました。それこそが“残飯”というものです。ものすごく失礼な肩書ですよね。ご存知の方も多いと思いますが一応説明させていただくと、ここで私が示した“残飯”というのは大学に入って6月いっぱいまでに恋人ができなかった人のことを指します。主に女子に使われることが多いようです。そんな“残飯”になってしばらく経つわけですが、先日妹が食べ残した白いご飯を見つめながら思ったのです。“残飯”って言葉、使い方間違っていないか……? と。
 そんなわけで辞書を引いてみました。以下、三省堂例解小学国語辞典第三版からの引用です。
ざんぱん【残飯】(名)食べ残したご飯など。  
ということです。小学生向きの辞書ですから単純明快ですね。字面どおりの意味じゃないか、と思う方もいるかもしれません。しかし、少し考えてみてください。私たち残飯は食べ残しなんてされていないのです。だって、箸すらつけられていないのですから。“残飯”ではなく“食わず嫌いされた系女子”のほうが理に適っているのではないかと思うのです。私が心から問いたいのは本当に“残飯”と呼ばれるべき人は、大学に入って6月いっぱいで恋人ができなかった人ではなく、大学に入ってすぐに彼氏ができたけれど6月いっぱいまでに別れた人、ではないかということです。とんだ大学エンジョイ勢ですね!

 では、なぜ食わず嫌いされた系女子が“残飯”と呼ばれるようになったのかということを自分なりに考えてみたのですが、最初にこの言葉を考えた人は恋愛ゲーム的な脳の持ち主なのではないかという結論に達したのです。は? と思われた方、ごもっともです。説明しましょう。
 恋愛ゲームとは字面通りゲーム上で疑似恋愛ができるというものです。男性向けのものはギャルゲー、女性向けのものは乙女ゲーと呼ばれることが多いです。それでは、なぜ“残飯”の名付け親がギャルゲー脳なのか。ギャルゲーでは時間をかければゲーム内の女の子全員と付き合うことができます。言ってしまえば、『全員俺のもの』というわけです。
 例えば、A子ちゃん、B子ちゃん、C子ちゃんという3人の女の子と付き合えるギャルゲーがあるとします。そのゲームを買った男の子は思いました。

「うーん……ツンデレのA子とドジっ子のB子はタイプだけど、クール系のC子はあんまり好きじゃないなあ」

と。そんな男の子はA子ちゃんとB子ちゃんとゲーム内で付き合うことに成功したあと、C子ちゃんには手を出すことはありませんでした。
 この場合『全部俺のもの』であるゲーム全体を定食と置き換えてみましょう。A子ちゃんはご飯、B子ちゃんは味噌汁、C子ちゃんはサバの味噌煮です。男の子はサバの味噌煮が嫌いだったので一切手を付けずに残しました。男の子に必要とされないことによってサバの味噌煮は残飯と呼ばれるようになります。よって、C子ちゃんが残飯と呼ばれることも理解ができます。定食は全部男の子が食べる権利があり、ギャルゲーもそうです。しかし、現実はそう上手くいくわけがありません。日本全国に何十万人という女子大生を全員手に入れることができるという前提がないと“残飯”という言葉に適しているとは言えないのです。もし、本当にそのようなことを思って“残飯”という名前をつけたのならば、その名付け親はとてつもなく傲慢なヤツと言えるわけです。

……と、ここまで“残飯”の不条理さについて書いてきました。これで残飯という言葉が使われるのはおかしいということをわかってくれた人はいるはずです。ごくごく少数ではあるかもしれませんが。しかし、“残飯”はかなり多くの人にマイナスで捉えられるべき言葉だと既に認知されてしまっています。ここで私がどれだけ間違っていると言っても“残飯”がなくなるわけではありません。これからも私は“残飯”という肩書を背負って長い間生活していかなければないのです。屈辱的ですが、受け入れるしかありません。私は“残飯”と世の中から呼ばれるべき美味しくない人間であります。ですが、きっと中には私のようではない“残飯”もいるはずです。食べてみたら本当は美味しい“残飯”だっているはずなのです。食わず嫌いはよくないですよ。

 最後になりますが、ごはん一粒一粒には神様が宿っています。ごはんは残さず食べましょう。


中山 楓子

或るぼっちの生態


 どうも、初めまして。絶賛ぼっち芸で売り出し中の新入生の僕です。この度、コラム書けと言われたのですが、まぁいかんせん、ぼっちなのでネタの引き出しがありません。おまけに締め切りが一時間後に控えておりますどころか、ここで締め切りを破り捨てるカスになってしまえば、もうぼくの居場所はココから未来永劫失われてしまいます。

 さて、それじゃあどうしようかという段になりますが、しようがないので、入学してからここまでの僕のぼっち生活を軽く振り返ることにしましょう。とくとご堪能いただきたい。

4月1日
 壮大な前フリですが、早大(そうだいにかけている。上手い)に無事合格を果たした僕はサブカルクソ野郎の卵もとい、文化構想学部の一年生として、高田馬場に降り立ちました。僕の故郷は、それはそれは田舎オブ田舎。キングオブ田舎、栃木県です。普通に鹿にこんにちはします。最寄り駅まで15km。最寄り駅が寄ってない。ンー、素晴らしき田舎です。そんなカッペの僕が東京にやってきてしまった訳です。そらもう大変。迷いました。まぁ人生にも迷っているわけですが(笑うところ)。まず早稲田駅いけません。新宿駅西口、新宿西口駅、新宿三丁目駅どいつもこいつも嫌いだし、なくなればいいと思います。
 入学式では、急に応援部の方々に両隣の人と肩を組めと有無を言わせぬ勢いで強要されました。なんとかハラスメントだと思います。右の男性の肩は、190cm超え、肩や、左の女性の肩は150cm超えず、ンー、僕は軸のぶれた案山子になった訳です。

4月2日
 今日くらいは普通に新歓楽しみたい!そう思った僕は、学部入学式を音速で出席し、光速で本キャンに向かいました。おおっと、ここは、スゴイぞ!なんたって新入生を迎え入れる歓迎のアーチができているじゃないか!みれば、先を行く新入生の手には大量のビラが!これは期待できるぞ、と意気揚々と突入した僕。まるで、フォークリフトのように腕を突き出して明るい未来に向かって歩き出したのです。
 夕闇に包まれる頃、僕は気づきました。突き出した両腕。軽いんです。あれ?そんなに僕の顔って老けてるのかな……。寂しい夜でした。

4月10日
 入学前から興味があったサークルの新歓です。僕はかすかな、それでいて身体を軽くさせる高揚感に包まれていました。別に精神を昂揚させるところではございませぬが。勇気を出して学館の部室を開けました。満面の笑みで迎えてくれる先輩たち。人が良さそうな同輩の人々。あ、ここが僕の新天地かぁ、胸が高鳴りました。
 宴もいよいよ始まります。先輩同輩混じって席を固めました。
「よぉ、君新入生?名前は?」
「学部はどこ?出身は?論系とか決めてる?てか俺の彼女がさーww」
僕「ウッ」
僕「あ、あたまが……。ぼ、ぼく用事があるので、おいとましますっ」
この瞬間、僕は確かに負け犬でした。

4月18日
 どうにか気を取り直して、別のサークルの説明会、頑張ります!と意気込んで、向かうわけですが、今日の僕は先日の僕とは別人です。フリーザ第一形態とフリーザ最終形態くらいには、別人です。戦闘力53万では、歯止めが利きません。見てろよ!
先輩「いやぁ君かわいいね^^」
一女「そんなことないですよぉ」
僕「あ、あの、こ、このサークル、どんなことやってるんですか?」
先輩「いやぁ君かわいいって^^」
一女「そんなことないですよぉ」
僕「あ、あの……。先輩……(小声)」
boku「……」
____僕は悟った。それはこの世の真理。それは、光があれば、闇があるということ。それは、表があれば、裏があるということ。それは、陽があれば、陰があるということ。僕は後者だ。そうだ。日陰者。自分の存在を、役割を知った。
 例えるなら、そう。
____かつて、週刊少年ジャンプでは、スラムダンクという人気漫画が存在した。その華々しい活躍のあと、黒子のバスケという今を絶頂に輝く少年漫画が存在する。主人公黒子テツヤ。日陰者の彼は、影が薄い。地味。それが、僕?……いやいや、違う。それでもない。僕には彼のようなルックスは当然ながらないし、火神のように全信頼を預けて、赤司に共に立ち向かう仲間もいない。では、僕は何者?
____かつて、週刊少年ジャンプでは、黒子のバスケ連載と、時を同じくして、あるバスケ漫画が登場した。フープメン。主人公はバスケなどできない英語ペラ男。あるとき、バスケめちゃうま外国人美男子の転校により、彼の通訳として主人公がバスケを始めるというメチャクソおもしろい(僕の主観による)漫画であった。皮肉にも、それは、黒子のバスケに立場を譲り、デッドエンド(打ち切り)へと消えていった。そう、その道を歩むのが正に、僕だ。
 僕などはリア充の住む世界にすら登場することも許されぬ。部屋の隅で慎ましく、埃を食うことだけを望まれる。そういうものだ。この世は。そういうふうに、できている。

5月某日
 リアルが、リアルだけが僕を救ってくれました。

大島 達矢

月の光とぼっちの煌めき


 6月12日!あの日の月を見た?

 あの日の月はいつもよりも妙に近く、低く、異様な光を放っていた。

 別にナントカ月食とかナントカ日食とかが起きたわけでもなく、かぐや姫が地上に下ってきたわけでもない。月を定期的に観察していると、妙に大きく見えるときがある。それが偶然6月12日にあたっただけだ。あの日何人の人が月を見て同じように感じたであろうか。

 今日、月の存在は薄い。町は電灯の光で溢れ、電気自動車が走る。提灯片手にこしらえて、月明かりの力を借りて、「お月さんありがとう!」と、隣町まで医者を呼びに出かける様な時代とは訳が違う。今や特別なことがない限り、月を意識する必要がないのだ。

 太陽が抜け落ちたらこの世は暗闇に包まれ、明らかに様相を一変させる。しかし、もし月がこの世から抜け落ちても、すぐには気づかれないだろう。

 村上春樹の小説『1Q84』の世界では月が二つ浮かんでいる。そして主人公のほか誰もそのことに気づいていない。(私はなんだかんだ読破しなかったので、最後の結末でそれが何を意味するかも分からなければ、記憶も曖昧だが)私は空に浮かぶ月を見て、いつもそれを思う。きっと月が二つ浮かんでいても、おそらく誰も見てやしない。

 月は、人間の進歩とともに大きく価値が変動している。役に立つか立たないか、意味があるかないか、それが価値基準になりつつある現代には月はほとんど意味を失った。しかし、それゆえ一層神秘的なものになった。いつも平然と、何の見返りも求めず、じっとこちらを見ている。それは何の意味さえ持たない。

 私は月を見るのが好きだ。その神秘さゆえ、または意味ばかり求めたがる自分への疲労感ゆえ。そこに月が平然と浮かんでいる不思議さは、私達がなぜここにいるのかわからない不思議さを不意に感じさせる。あ、そっか。私達自身平然と生きている不思議さを抱えて生きているのか。ふとそんな風に思うのである。

 月だけじゃない。私達は日々多くのものに出会っている。スマホから目を上げれば梅雨、アジサイが咲いているかもしれない。風の匂いが微妙に違うかもしれない。忙しくてゆっくりしていられない、せわしない現代の中できっと多くの豊かさが零れ落ちている。あなたが歩きスマホをしていて、顔を上げれば月が輝いているのにそれに気が付かない。空気が澄んでいることや、月が光っていること、花が咲いていることや、美しい晴れであることは、人が生きていることと同様まったく意味を持たない、不思議なものである。ただそこに気づくことが出来たとき、私の人生は少し豊かになった。

 梅雨の晴れ間の夜、私はもうすっかり夏の夜の気分になって、あの小さな頃の夏祭り前のわくわく感を思い出した。そういえば去年は受験勉強が忙しくて行けなかったんだっけ。

 ふと思い出す懐かしさも私は好きだ。こうして生きている今も過去になる。あの頃つけた知識も人との約束も過去になっていく。時間は二度と戻らないが、それでも体はしっかりと記憶している。たとえ言葉にならなくても、はっきり思い出せなくても、その時の空気を感じる事が出来る。ただ平然と現れてくるその記憶に、人は何も求めず、はっきりと感動することが出来るのだ。

 時間はどんどん過去になる。この憂鬱な日々も、楽しい時間も、きっと過去になっていく。記憶の引き出しを開ける鍵となるのは、実はこのような感覚であったりする。身近なものが新鮮に感じられることや、そこに懐かしい思い出を見つける時、生きている実感があるように思う。

 というわけで、大学に入ってから「ぼっち」というネガティブワードをよく耳にするが・・・ぼっち諸君!たまにはぼっちもいいものだ!いつも繋がっているこの世界から、たった一人で投げ出されたときこそ人の視界は開けるはず。何が豊かさなのか、誰を求めているのか、孤独な時にこそ人は探すようになるのだから。

「万有引力とは引き合う孤独の力である*」大丈夫!ぼっちの葛藤はいつか孤高の月の様に煌めくよ・・・とかいってみる。まあ私もぼっちだけどね・・・。

森田 桃子

*谷川俊太郎『二十億光年の孤独』より引用

サワコ、趣味をさがす


 パオ!みなさん、いかがお過ごしでしょうか。リアルに柏木です。あっという間に7月ですね…、月日の流れの早さには正直引いています。

 さて、新学期開始から3か月が経ち、大学での生活にも慣れてきました。慣れてくると自由に使える時間が格段に増えます。そんな時間をみなさんは何に使っていますか?多くの人は趣味の時間に使っているのではないでしょうか。

 録画したアニメを見る、ゲームをする、散歩に出かける、公園でサッカーをする…。ここにはあげきれないくらいの「趣味」が、世の中にはあふれています。

 人生というのは、夢中になれるものがあってこそ輝くもの…、何か夢中になれるものがあるからこそ、そのために努力し、人生を豊かなものにできるのです!

 …と、まあここまで威勢よく書いた私ですが、実をいうと無趣味です。困った。長らくルーチンな勉強生活を送ってきたために、いざ自由時間をポイと投げられてもどう使っていいかわからないのです。クマった。そんな私が今後悔していることといえば、バイト先でプロフィールシートの趣味欄に「趣味:映画鑑賞・ゲーム」と書いてしまったことです。正直言って映画なんて家族が借りてきたDVDを一緒に見る程度だし、ゲームだって三度の飯を抜くほどやっているわけでもない…要はぬるゲーマー…。こんな中途半端な嘘をつくくらいなら、いっそのこと「スイーツづくり」とか「DIY」とか女子力のある回答をすべきでした…。そうしたら今頃はモッテモテ女子大生になって引く手数多だったはず。惜しいことをしました。

 そんな女子力的にもコラムの〆切的にも絶望の淵に立たされた私に突如として天の声が降ってきました。「コラムで探せばええやん?」…そういったわけで今回のコラムのタイトル、こちらです。


 サワコ、趣味をさがす ~スイーツづくり編~


 まず問題になるのは、何をつくるかです。スイーツと一口に言ってもその種類は何百とあります。そしてもう一つ、どうやってつくるのか…。私はスイーツはおろかカレーの製作も1人ではままならないだろう人間です。ですので、今回は某有名レシピサイト内のお菓子カテゴリの中から簡単そうなスウィ~ツを選び、レシピを拝読しつつ製作していきたいと思います。

 今回選んだスイーツはマフィンです。アホみたいな名前をしているし、パンっぽいので30分もあれば私でもつくれそうな気がします。

 まずは買い出しへ。レシピに書かれていた材料で家になかったものを買いに行きます。「マンナン」とかいうよくわからないものが書かれていたのですが…。これは買わなくてもよさそうな気がします。マフィン製作の工程の中でさほど役に立つとは思えません。それに、埼玉のスーパーに売っているとも思えないので…。

 材料をそろえたところで、調理に入ります。粉という粉をまぜ、卵をとかし、液体をまぜ…。普段料理をしない私にとっては、50gだの小さじ1杯だのそういった専門用語を調べるだけで時間がかかってしまいます。結局、材料をまぜるだけで1時間ほどかかってしまいました。しかもこのマフィンというやつはオーブンで焼く必要があるそうです…。オーブンを予熱するのに10分、マフィン本体を焼くのに20分かかります。はじめに思っていた以上にマフィンというお菓子は時間がかかるものらしいです。

 ここでもう一つ問題が発生しました。そう、マフィンの液体を入れる型がないのです!仕方がないのでインターネットで型の代用を検索。そして引っかかったのが…紙コップ、でした。多少見栄えは悪くなりますが、マフィンの型としての役割は果たしてくれそうです。すぐに用意して液体を流し込み、オーブンで焼くこと20分。ようやく完成です!



 …なんだか思ったほどマフィン感はでませんでした。膨らんだ感じはありますが…、なんかこう…割れ目とか…なんか…ちがう…色とかも…ちがう…。真の女子力を持つ女子でないと真のマフィンはつくれないのでしょうか…残念極まりないです…。

 さて、本来の目的である趣味さがしですが、結果的に「スイーツづくり」は恒常的に実行できるものではないな、との結論に至りました。その理由は1に金銭面(製菓材料はいやに高い)2に時間面(予熱なんでこんなに時間かかる?)3に精神面(想像していたものとは違うものが出来た時の絶望感)です。特に3です。自分の理想とは程遠いマフィンの姿に幻滅しました。味がそこそこだったのが救いでしたが、正直、ここまでのコストをかけてつくるものなのかと思ってしまいます…。


 というわけで、いかがだったでしょうか。これからスイーツづくりを趣味に始めたい人にとっては、現実を知るいいコラムになったのではないかと思います。スイーツづくりを趣味にすることを諦めた私ですが、何か趣味を持つことを諦めたわけではありません。

 サワコ・柏木の趣味さがしはまだまだ続くのである!

 第一部完

柏木 佐和子

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