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リッこら

Re:ALL製作委員会は一枚岩ではありません。日々委員どうしが小首を傾げ合いながら 冊子を作っています。彼らは一枚岩というよりはむしろ、ガラクタの山のようです。どんなガラクタが埋まっているのか。とにかく委員それぞれが好きなものを書きたいということで始めたコラム、気が向いたら読んでやって下さい。ひょっとしたら、使えるガラクタがあるかもしれません。

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〆切ギリギリを迎えたときの対処法


 こんばんは。只今6月29日23時46分。明日はこのコラムの提出〆切だというのにこの時間になって書き始めるとは……。ビジョンも0。はあ……何を書こうか……。自分の興味関心のあることについて書くと、自分はWEAVERという神戸発3ピースピアノロックバンドが大大大好きなのですが。愛しているのですが。ただそれについてだらだらと書いてもただの宣伝にしかならなさそうだしな。あれですよね、お題が自由のレポートとかと同じですよね。今私がこのRe:ALLで担当させて頂いている誌面のデザインなんかもそうだけど、何も無いところから考えることって実は非常に酷なことだと思うのですよ。人はこれを「生みの苦しみ」なんて言ったりします。
 
 さて、何を書こうか。

 それにしてもなぜ私はいつもこう〆切間近にならないと事に取り掛からないのだろう。思えば小学校の自由研究のときも夏休みの最後の最後になって母親に泣きついて手伝って(というより殆ど全部やって)もらったんだよな。課題が与えられたその瞬間は、あれをして、これをして、あの本を読んで…なんて、色々思考を巡らせているのに、いつの間にか存在が自分の中から薄れていって、日は経っていって、思い出が増えていって、ああ蝉も少なくなったなあ、なんて思った頃に気付いて……そこから先は察してください。なんてことだ。

 どうしていつもこうなるのだろう。これは私だけなのか? じゃああれか、文キャン生になら伝わるであろうあの授業、そうオンデマンド授業。あれもまだ二桁残っているのだが。これも私だけなのか?なんか悪寒がしてきたため友人に聞いてみた。
筆者「ねえ、オンデマンド後どのくらい?」
友人A「あと23個! やべえ意識たけえww」
……聞く人物を間違えたのか。

 大体ここ文化構想学部には摩訶不思議なパーソナリティーをもつ人物が多すぎやしないか。一見テレビに出てきそうな麗しの美少女が「うえーい」を連呼していたり、ギャルっぽい風貌の子がコアなアニメの話をしていたり、カオスな世界がそこにはある。もはやここでは逆に普通の人が変だと言われてしまうんじゃ……。「なんで変じゃないの? 普通だなんて変だ! 」なんて言われても仕方ないんじゃないか。

 大体、「普通」ってなんでしょうか。私はよく第一印象と違うね、なんか変だね、と言われます。実によく言われます。そうですね、軽く100回は超えてるのではないでしょうか。とにかく、会う人会う人に言われ続けているので最近はリアクションが薄くて場の空気が気まずくなってしまうほどです。……おっと。自分のことなんて言ったって何も面白くない。冗談は顔だけにしてくれよな。

 話を元に戻しましょう。普通とは何なのでしょうか。大辞泉によると「普通;特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それが当たり前であること。また、そのさま」とある(デジタル大辞泉より引用)。

 この言葉通りに考えてみると、やはり我が文化構想学部では「うえーい」「わんちゃん」の連呼や、サブカルチャーにはまる人物が「普通」なのではないかと思えてきた。だってありふれてるじゃん。文カフェに行ったらいつでもどこかのテーブルでカードゲームが繰り広げられているし、この前座ったテーブルには美少年の絵が描かれていたし。「これ何だよ……机に落書きすんなよ……」と私が言うと友達の一人がすかさず「ミカサじゃん! めっちゃ上手い! 写真撮っとこーー」なんて言ってる。すると他の友人らもこぞって写真を撮りだした。後で聞いた話によると彼、いや彼女は今流行りの進撃の巨人の登場人物だそうで、イケメンに見えるが実は女性であった。知ったかぶりをして「彼本当にかっこいいよね! 」なんて言った私は大恥をかいたのですよ。ははは……そういえばサブカルに疎い私は他にも何回か恥をかいたことがあったな。この場合、机に絵を描いた人物、写真を撮った友人が普通で、私が変ということになりましょうか。そういうことだったのか。これからここ文キャンで「君、変だね」と言われたときは甘んじて「そうです。私は変な学生です」と受け入れることにしよう。

 何が普通なのかという問いの答えは決して万国共通のものにはならない、というのがここまでつらつら書いてきて出てきた結論です。例えば言語。日本には標準語なるものが存在し、恰もここ東京の言葉が普通であるかのように言われているけれども、関西に行けば関西弁が普通であるし東北に行けば東北弁が普通になる。換言すると、彼らにとっての標準語は関西弁、東北弁になり、言ってみれば地方では「標準語」だって「東京弁」「関東弁」と呼ばれることになるということです。
 
 そして結局何が言いたいのかというと、「普通」の定義付けはその背景となる社会、集団無くして決してできない。先程の辞書で極めて抽象的に書かれていたこともこれなら頷けますね。自分の所属している社会、集団の背景を知らずして、「君、なんか変だね」なんて言うのは無粋なことなのです。「みんな違ってみんな良い」それでいいじゃない。

 そして、最後に。このように、文章を書いていく中で物事を考えていく。ビジョンを持っていくのも、構想を練っていくのも、全て文の中。思いつくがままに、とにかく書いていく。これが〆切間近になって慌ててしまったときの一番の対処法であると私は考えています。
……根拠は? 以上の通りです。

                                   浅井 花怜

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