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リッこら

Re:ALL製作委員会は一枚岩ではありません。日々委員どうしが小首を傾げ合いながら 冊子を作っています。彼らは一枚岩というよりはむしろ、ガラクタの山のようです。どんなガラクタが埋まっているのか。とにかく委員それぞれが好きなものを書きたいということで始めたコラム、気が向いたら読んでやって下さい。ひょっとしたら、使えるガラクタがあるかもしれません。

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ツイッターのある生活



少し前にツイッター上で流れていたツイートに、「1日100ツイート以上する女子に対しての、男子の評価は?」というものがあった。
その酷評たるや凄まじく、「気持ち悪い」「頭がおかしい」「ネット依存症」「自分の存在を知らしめようとしている感が伝わっていやだ」などと全面否定。1日100ツイートとは、睡眠時間を考慮して単純計算すると10分に1回の頻度だ。確かに一般女性にしてはやや多いかもしれない。タイムラインが常にその人のアイコンで埋まり、他の人のツイートが流れていってしまうことに嫌悪を感じる人もいるだろう。先ほど取り上げた反応はごく一部の極論的なものではあるが、一概に誤りだとはいえない。
現に私の読んだ女性向けファッション誌に載っていたとあるツイッター講座には、ツイート数は1日5~10程が目安とあった。その日のランチの写真、友達と見に行った映画の感想、それに対するリプライなどなど、“近況報告かつ日記”としてツイッターを活用するよう、その記事は勧めていたように思われる。

しかし私の周囲のユーザーたちは、冒頭のツイートに対して反発心を露わにしていた。ツイッターは自由に発言をしていいものなのだから、何ツイートしようとこっちの勝手だろうという意見が主だ。確かにこの縛りのない表現の場で、人に気を遣って呟きを遠慮するのは本末転倒に思える。
ここで注目したいのは、ツイッターの「目的」という点において、1日100ツイート以上するユーザーと、その行為を否定するユーザーは、決定的にすれ違っていることだ。人に見せるために呟いている人と、自分のために呟いている人で、その意識は全く異なってくる。
この認識の差異が悲しいすれ違いを引き起こすのだ。

 私はツイッターを始める以前、このようなSNSを毛嫌いしていた。高校一年生くらいの時からクラス内でツイッターが流行り出し、友人との日常会話のなかでも「昨日○○ちゃんがツイッターで△△先輩と絡んでてさー」という噂話が増えた。正直、どうして誰もが閲覧できるSNSのような場で軽率な行動をするのか……と理解しがたく思っていた。当時ガラケーを使っていた私はツイッターに縁遠く、ああそういうの流行ってるよねと一歩引いたスタンスでいた。
 しかし、結局時代の波には逆らえず。高校二年生の時に好奇心からアカウントを取得し、ものは試しと「趣味用アカウント」を作ってみた。私は読書が趣味だったので、某作品のファンとして、匿名で年齢を伏せツイッター環境を楽しんでみることにした。何せ私には経験が欠けている。自身のツイッター偏差値を上げ、いずれ作る「リア友用アカウント」を効果的かつ安全に使う方法を見出そうとしたのだ。

 丸い卵のアイコンを適当な写真に替える。プロフィール……よくわからないから好きな作家さんを書いておく。不安だったので、参考にしようと他の人のプロフィール画面も見てみた。「お別れはブロックで」?ブロックって何?……取りあえず、ツイート検索で趣味の合いそうな人を探し、その人のツイートを観察してみる。自分のツイート数がゼロのまま誰かに絡む勇気はなく、数日だらだらとひとり呟いてみた。 
 15ツイートしたあたりで、5人ほどをフォローしてみた。ちなみに挨拶をせずにフォローしておいた。そのうち「フォロありです!」というリプライが返ってきて、ふぉろありってなんだ?と首を捻る。そしてしばらくしてから、最初にフォローする時はひとこと挨拶をすべきだったか?と思い焦る。フォローを返してくれたのは5人中3人だった。私はその人たちにお礼のリプライを返したあとに、なにやらどっと疲れた気分になった。

 そして、気付く。匿名で赤の他人とつながることと、実名で既知の友人とつながることは、もう根本的に別物なのだと。
 結論から言うと、私の「趣味アカ」での経験はまるで役に立たなかった。
 それどころか数々のよくわからない作法に詳しくなっていくばかりだ。「話したこともない人に直接リプライするのもアレだから…うん、ふぁぼっておこう」「リツイートしてくれた人は趣味が合いそうだし、フォローしてみようかな」。手探りでツイッター環境を開拓し、毎晩寝る前の30分ほどはツイッターにあてていた。気付けば“実験”だった趣味アカウントは充実し、なかなか話の合うフォロワーさんも増えてきた。

 ここで忘れてはならないのは、この時点で私のツイートはほぼ「自分のためのもの」だったということだ。平均して1日に15~20ツイートほどではあったが、私は誰に向けた訳でもない自己満足の感想や意見を、爆弾のごとく投下していただけだ。
 そのおもむろな「呟き」――自由で、縛られない、ゆるい投稿――をふとした瞬間に別の誰かが拾って反応を返してくれること、にツイッターの魅力がある。共感してもらえれば嬉しいが、スル―されたとしても特に気にしない。ふわふわした輪の中で、他人同士が勝手に呟き合っているという不思議な状況がこのツールのミソだ。

 そう考えると、私は1日100ツイートする人を否定できない。否定も肯定もせずに、ただ「ああ、そういうツイッターとの付き合い方なんだな」と納得する。もしどうしてもその考え方が合わないと思ったら、残念だがそっとブロックをすればいい。去る者追わずのゆるやかな連帯は、それを往々にして許す。
 
 大学受験が終わった今年4月に、私はようやく実生活用のアカウントを作った。中高の友人、大学やバイト先で出会った新しい友人・先輩……まだ始めて数カ月だがタイムラインはとても賑わっている。こちらでは主に「実名のツイートが他人に見られること」を前提に投稿するようにしている。つまり、「近況報告であり日記としてのツイッター」を私は利用しているのだ。
 多様な側面を持つツイッターに正しいやり方はない。それぞれが自分の哲学・常識にのっとり、様々な理由でタイムラインを覗く。暇つぶしの場であり、ストレス発散の場であり、交流の場であり、画面の向こうに生身の人間がいる場である、というやや矛盾した環境の中で、どのようにツイッターと付き合っていくか……自分なりに決めていきたいものだ。
 
 
                                 近江 由圭                     
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