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リッこら

Re:ALL製作委員会は一枚岩ではありません。日々委員どうしが小首を傾げ合いながら 冊子を作っています。彼らは一枚岩というよりはむしろ、ガラクタの山のようです。どんなガラクタが埋まっているのか。とにかく委員それぞれが好きなものを書きたいということで始めたコラム、気が向いたら読んでやって下さい。ひょっとしたら、使えるガラクタがあるかもしれません。

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How do you like wednesday?



自分がその人に特別な思いを持っていない限り、だれそれが何を好き、というのは全くもってどうでもいいことである。毎朝電車で見るおっさんがこけしマニアだろうが、名前だけ知ってるクラスメイトがどうしようもない出目金好きだろうが、そんなことは知ったこっちゃないように。まして、それを押し付けられた日にはもうたまらない。おっさんが、「どうにもこけしが気になる。気になるのよ奥さん」と寄ってきたり、クラスの子が「出目金のこの二重を見て!ねぇ見てよ!」と出目金を押し付けてきた日には、それはもうただただ鬱陶しい。迷惑なのだ。                                                                                                         

さて、本題。私は「水曜どうでしょう」が好きだ。少し人と打ち解けると「この番組おもしろいよ!見てみなって!ほらいいから!」と言ってしまう質である。迷惑をかけてしまう質なのだ。

どうか大目に見ていただきたい。

そこで、文句の言われないこの場を使って、読んでくださるわずかな皆様に私の“好き”を押し付けようと、そういう算段である。

 「水曜どうでしょう」とは北海道テレビ(HTB)の伝説的ローカル番組である。東京MX、TVK、テレ玉といった関東のローカルテレビ局でも放送されているので御存知の方も多いのではないか。知らないあなたはおそらく世俗と離れて暮らしている仙人であるだろう。この番組は出演者の鈴井貴之・大泉洋、ディレクターの藤村忠寿・嬉野雅道の4人が様々な土地・国を行く旅番組である。これまで彼ら(通称どうでしょう班)は、「ヨーロッパ21カ国完全制覇」「原付ベトナム縦断1800キロ」「日本全国サイコロの旅」など、多くの企画を行ってきた。

ただ、こんな番組概要を書いたところで、「水曜どうでしょう(以下どうでしょう)」の面白さは何一つとして伝わらない。しかし、どうでしょうエリートの皆様ならご理解いただけると思うが、この番組の面白さを未見の人に伝えるのは非常に難しい。そりゃあもうとんでもなく難しい。困難を極めるのである。そのせいでどれだけ辛く暗い大学生活を送ってきたことか。そこで、どうでしょう藩士としてはまだまだ半人前ではあるが、どうでしょうの魅力の極々一部を抜粋しながらここに紹介していこうという次第である。


どうでしょうの魅力その一
 「旅番組のくせに観光地や風景はほとんど映りません」


初っ端から荒々しい奥さんならページを閉じてしまいそうな魅力である。わかってるの、珍妙なことを言ってるってのは自分でわかってるの。でも、どうでしょうの魅力は風光明媚な観光地ではないの。そんなのが見たければ「いい旅○気分」を見てればいいじゃない! 文句あるならそっち見てなさいって!! もちろん、「いい旅夢○分」も素敵な番組かもしれない。でもそんなありふれた観光地は巷の奥さんにとってはもうお腹いっぱい。もう、パ○ラのハニートースト並に胸焼けがするのだ。そんな舌の肥えた奥様達が、風景を薬味に、車内でトークをする魅力的な出演者の姿を美味しくいただく、そういう番組なのだ。

どうでしょうの魅力その二
 「カメラはトークをしているタレント陣を無視することがままあります」



どうでしょうを見たことのない奥様方は、出演者が映らない番組を何のために見るんだと、そんな的はずれな思いを抱いた方もいるのではないだろうか? ねぇ、図星でしょう。いやいや確かに、大泉さんのあの面白い顔と髪型を見たい、鈴井さんの素敵なお顔と厚い唇を見たい、そういう気持ちは痛いほどにわかる。だが、トークに車窓の画をかさねることでタレント陣の姿を想像する、そうすると実際の姿を見るよりも面白い、そういうことがあるのである。不思議とそうなるのである。そして、それだけではなく、一生懸命トークしているタレント陣をカメラマンが無視し、わざわざどうでもいい車窓を撮っている。その図がまたどうしようもなく面白い。頑張っている出演陣を放っておくスタッフの悪役っぷり、それがなんとも痛快でたまらないのである。

どうでしょうの魅力その三
 「トークの中身はほぼ、ぼやき・ホラ話」



どんなに素っ頓狂な奥様も、あの大泉洋は知っているであろう。そう、日本一のローカルタレント、妻子持ち39歳、Mステにも出たあの人のことだ。あの人の真骨頂は、ぼやき・ホラ話である。大泉さんのホラ話は有名だ。かつて彼のホラ話を記者が真に受け、フライデーされたこともあるほどだ(詳しくはWikipedia大泉洋のページ、ホラ話の項をご覧いただきたい)。どうでしょう本編でも大泉さんのホラ話は番組に欠かせない要素の一つである。荒くれ者と飲み比べ起きたらメリージェーンと寝ていた話、酒と喧嘩に明け暮れた若かりし日の思い出、伊勢神社や成田山、靖国神社と飲み明かしたというバカ話。どれも番組で見ていただきたい下らない一級品ばかりである。

そして番組のメインといってもいいのが大泉さんのボヤキである。ボヤキの大泉なのである。私たちどうでしょう藩士は大泉さんのボヤキが聞きたくてどうでしょうを見ているのかもしれない、そう思うほどに彼のボヤキは魅力的なのだ。大泉さんが言わずと知れたリアクション芸人であることから想像できるように、番組の冒頭、企画発表が彼の最大の見せ場である。基本的に国内・海外を問わず、大泉さんは企画でどこに行くかを知らされない(パスポートは常に局預かりである)。北極圏に半ズボンサンダルで突入させられたり、全国各地をダサいジャージ(通称勝負服)で連れ回されたりと、番組の常として大泉さんは被害者なのだ。そんな彼が悪者のスタッフに吐くボヤキはどれも正論。しかし言葉の選択や、いいっぷりがどうしようもなく可笑しいので誰も彼も(視聴者も)大泉さんに同情せず、ディレクターとの罵り合いを爆笑しながら見ていられるのである。大泉さんの騙されっぷりに悩殺された連中、それがどうでしょう藩士なのだ。

そう、私たちどうでしょう藩士は、大泉洋が騙され、ボヤキ始めるのをただ一途にニヤニヤと待ち望んでいるのである。


さて、締めである。

どうでしょうエリートの皆様の、「もう締めるのか! ミスターについて触れてないじゃないか!」
「藤やん抜きでどうでしょうを語れるわけがない!!」
「うれしーはどうした!うれしーは!!」
「皆のアイドルonちゃんは?」
というお叱りが聞こえてくるようである。しかし、それはまたの機会に。

水曜どうでしょうは私にとって生活の一部である。いや、メインといってもいいかもしれない。バイトでミスをして凹んでも、女の子に振られ落ち込んでも、どうでしょうを見ればあまりのバカバカしさに必ず立ち直れる、そういう番組だ。ここには書ききれないほどに、どうでしょうは魅力に溢れている(実際は魅力その一二まであったが割愛した)。まして、この思いが溢れすぎてまとまらない文章で魅力が100%伝わったとは、もちろん思わない。だが、本編を見ていただければ「ああ!」と共感していただける、そう確信している。



最後に、どうでしょうを初めて見る方にオススメの企画を紹介しよう。

・時間がある人にオススメ
「ヨーロッパ21ヵ国完全制覇」
「マレーシア・ジャングル探検」
「北極圏突入 〜アラスカ半島620マイル〜」

 ・時間がない人にオススメ
「シェフ大泉 夏野菜スペシャル」
「クイズ!試験に出るどうでしょう」
「北海道212市町村カントリーサインの旅」



ぜひ、あなたも一緒に

「一生どうでしょうしましょう」


(矢野)



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パタパタパタパタパタ…
たぶん、僕が子供のころはこの音で飛行機が飛び立っていたんだろうな。

旅行に出るとき一番好きなのは、空港だった。
特に、入国や出国審査の場所に行く前に必ずある、その空港の今日のフライト情報の書かれたスクリーン。
今は電子化が進んで、日本だとどこにいっても、電光掲示板に飛行機の順番が書かれている。
一昔前(と言っても最近だけど)は電光掲示板のようなデジタル表示ではなかった。飛行機が一機飛び立つたびに、いかにもアナログな回転式の板が、パタパタパタと音を立ててフライト情報を更新していた。


今でも、スクリーンが残っている空港は世界にはまだまだあるみたいです。
そこでは、今日も飛行機が飛び立つたびに、パタパタなっているんだろうか。



カシャカシャカシャカシャ…
一眼レフのカメラは、1988年にカメラが今の形になって以来の変わらないシャッター音を響かせている。
大学に入った頃、宮崎あおいが宣伝しているオリンパスのPENというコンパクトデジタル一眼に憧れて買った一眼レフ。
昔からカメラが好きなわけではなかったと思う。むしろ意味不明な用語ばかりだったから、いつもマニュアルモードではなく、自動で全部やってくれるオートモードだった。

だけど、写真は好きだった。

タイムマシンでしか戻ることができない瞬間を持つことができるなんて、すごいことだと思っていた。
そんなこんなで自分でも撮りたいと思って始めたら、Re:ALLでカメラ講習会をやるまでになっていた。



今では、なにもない時でもバッグに入っている 。
取り出して、ピントを合わせたらカシャカシャって音がしてくれるんだろう。

(野口昴太)


ちょっとそこまで、が旅になる。



こんにちは。千葉県柏市在住の杉本です。

先日、友達4人と鎌倉まで行って参りました。

チャリンコで。



ぼくの住んでいるところから神奈川県鎌倉市までは片道およそ100キロの距離があります。ひいひい言いながらなんとか辿り着いた、といったところです。

とはいえ、もちろんママチャリでは行っておりません。

みなさんは、「ロードバイク」というスポーツタイプの自転車をご存知でしょうか。

牡牛の角のように前方に張り出したドロップハンドル、膝がこれっぽっちも曲がらないように高く上げられたサドル、走行抵抗を減らすための溝なし細幅の高圧タイヤ。
舗装道路を高速走行するために生まれたこの自転車は、平地で時速40キロ、下りの坂道であれば時速50~60キロという自動車並みのスピードを出すことができます。

かっこいいといったらありゃしない。

高性能の自転車というだけあって、たしかにちょっとやそっとのお値段で買えるものではありませんが、ぼくぁ頑張りました。汗水垂らして働いてお金を貯めました。
その額なんと7万円。

いや、たかがチャリンコにそんなにお金かけるかね、このばかたれが。
そんなお声をいただいたりもしました。


が、


うるせぇ、諸経費込みでもっとかかるんだ!


自転車とはいえ、相当のスピードが出ますから歩道は走れません。自動車がびゅんびゅん走っていくその横をみんなで隊列を組んで走ります。車間を大きくあけてしまうと自動車の迷惑になりますから、なるべく間をつめてつめて 走ります。これが結構怖いんです。隣はびゅんびゅんで自分もびゅんびゅんなスピードで走ってるわけですからちょっとハンドル操作を誤ると、もうお陀仏です。命がかかってます。というわけで、 頭を守るヘルメットもそれなりのお値段に。車に自分の位置を知らせるためのライトも、前後につけなくてはいけませんからそこそこのお金がかかります。また、高速走行中にいきなりパンクしてしまえば一瞬でぽーんと放り出されてしまいますから、専用の空気圧計つき空気入れも買わねばなりません。さらには、ロードバイクは、高額な乗り物ですから(ぼくは「走る資産」と呼んでいます、真面目に)、駐輪するときもちょっとやそっとの鍵では心配になってしまいます。なにせ、車体が10キロをきる軽さですからすぐ盗まれてしまうのです。電柱にがっちり縛り付けるためのチェーンがうん千円……

結局、合わせて10万弱はかかったのでしょうか。いえ、詳しくは覚えておりません。そんなことはどうでもいいのです。全て風が忘れさせてくれますから。
そう!路面を颯爽と駆ける我々の前に金銭の概念など無意味なのです!!

取り乱しました。申し訳ありません。

サイクリングはとても楽しいものです。個人的には、都市と都市とを身体的に結んで行く、という点が何よりも楽しい。普段我々は電車や地下鉄にのって移動をしていますが、出発地点と到着地点の風景以外を直に体感することはありません。その間の距離もわからない。地下鉄の窓から見える真っ黒の壁は、スタートとゴールを繋ぐ輸送の管でしかないのです。しかし、自転車にのって移動をすれば、地続きの風景をずっと身体で感じられます。鎌倉への道のりは、柏を出て国道6号線沿いにずーっといき、スカイツリーが橋の向こうにドンと見える浅草、歩行者天国で人のごった返す銀座、麒麟像がそびえる日本橋、皇居周りのイチョウ並木は、それはもう綺麗でした。そして有楽町を、と走って、また1号線をくだり、神奈川県へと向かいます。あの街が自分の街と一本の道で繋がっているのかと発見するたびに、ぼくは何ともワクワクしてしまうのです。




自動車も地下鉄も便利で快適な乗り物ですが、どうです?
一台、欲しくなりませんか?

(杉本和真)


Girl



「かわいい」ってどういうことでしょうか。
顔がかわいい、服がかわいい、仕草がかわいい、いろいろな「かわいい」があると思います。
かわいいと言えば最初に浮かぶのは、やはり見た目のかわいらしさですよね。 「人は見かけによらない」なんて言葉がありますが、それでもやっぱり最初に飛び込んでくるのは視覚情報、見た目から始まるんじゃないでしょうか。「女は化ける」と言う 言葉もあるように、見た目から始まるからこそ外見で化かすんじゃないでしょうか。
男は案外単純で、かわいいこが近寄ってきたらそれだけでホイホイ釣られたり言うことを聞いたり。きわどい格好なんかしちゃってたら「おや、これは…」なんて。多少の失敗だって、その失敗をしたのがかわいいこだったらどこかで、許してあげようかな、なんていう気持ちも浮かぶんじゃないですか?私自身は、 小さくてちょこまか歩いてふわふわーな服を着て、目はぱっちり、頬がほんのり赤い。そんなこがいたらもう抱きつきたくなります。かわいいねって言いたくなります。
ずるいですね、かわいいって。ところでわたしは本当に 「かわいい」と思った相手にしか、「かわいい」と言わないことにしています。かわいいだなんて微塵も思っていないのに嘘をついてまでお世辞を言う必要はないですし、勘違いされても困ります。思ってもいないことを口にして勘違いさせる方も悪いです。最後に もう一度言いますが、「かわいい」ってどういうことでしょうか。
簡単に使っていい言葉じゃないと考えています。

あ、あのこかわいい。

(土屋緋菜子)

書く人・編集する人



こんにちは、Re:ALL製作委員会、副編集長の浜村です。最近はすっかり寒くなって、気づけば今年もあとわずか。9号の方は、企画が決まっていよいよ制作が始まりました。今年の12月はいつに無く忙しくなりそうで戦々恐々としております……!

――書いては消して、書いては消してー―

さて、早速本題に移ろうと思ったのですが……いやぁ、コレが悩むったらないですね。僕は副編集長として、Re:ALL Webコラムの校正(簡単に言うと文章をチェックして意見を出すお仕事)をやっているのですが、今までの人の中には締め切りに間に合わない人も居たのですよね。もちろん、皆さん忙しいのは解ってますよ、でもお仕事なんだからちゃんとしてもらわないとなぁ。なんて、偉そうに考えていたのですよ。ところが、自分の番になってみて気づきました。自分の好きなモノについて書く。コレ難しい。まず、好きなモノの選考で悩むし、いざ書きだそうとしても自分の考えが文章化できなくてまた悩む。今考えると前の三人も、同じように悩んで来たのですね。あの一単語、一フレーズが、彼らの苦悩と試行錯誤の末に生まれたものであると気付きました。他人の苦しみは、自分でやってみないと解らないものですね。今度からは、気をつけて校正をしないとなぁ……。

――僕の仕事、僕の先生――

と、話が脇道にそれちゃいましたね。いや、決して今回の話と無関係ってわけじゃないのです。僕が今回書くのは「文章」に関しての事。僕、人の書いた文章を読むのは結構好きなのですよ。だから、文章を読んで、それに感想を出す(だいぶソフトな表現ですが)、副編集長の仕事を結構楽しんでいるわけです。あ、決してお遊び気分でやっていると言う事では無く、折角やるなら楽しまないとね。と言うわけです。
文章と言えば、僕が高校生の頃、面白い先生が居まして。その先生、生徒の名前と顔は一致させて覚えられないのですが、生徒の名前とそいつが書いた文章は合わせて覚えている。つまり、僕が「○○組の浜村です」と言ってもピンとこないのですが、「この前の国語のテストで○○と書いた浜村です」と言うと「あぁ!」ってなる。その先生曰く、文章にはその人の人となりが全部出るそうです。だから顔を覚えるよりもよっぽど効率が良い、とのこと。確かにその先生の言っている事は正しかったわけですが、それにしても極端な先生だったなぁ。全く、何処で勉強してきたのやら……と思ったらウチ(早稲田)でした。うーん、妙に納得。

――編集の重みと、親父の言葉と――

おおう、また話がそれましたよ。つまり文章にはその人の想いやら何やらが詰まっている……いや、その人自身の想いが文章と言う形になって発現していると言っても過言ではない。そうなると文章の校正を行う(副)編集長は、責任の重い仕事になりますね。だってホラ、校正だなんて聞こえの良い単語を使ってはいますが、要は相手の文章にケチつけるお仕事ですからね。自分勝手な意見で文章の良さを殺したら大問題です。人が読む文章である以上、「誤字脱字は無いか」とか、「言葉の使い方がおかしくないか」とか、「誰かを傷つける事は書いてないか」とか、最低限、絶対に見逃せない部分はあるのですが、表現の仕方には「正解」が無いから難しい。文章を書いた方と、それを編集する方で、目指す完成形が違っていて、そのせいで意見がまとまらずに、納得の行かないまま締め切りを迎えてしまう事もあります。もちろん人によって、「良い文章」は様々なので、仕方のない事ではありますが……それでも編集者として、もっと違う方法があったんじゃないかと、悔しくなりますね。
新米副編集長のくせに、偉そうに語っている僕ですが、この考え方は一つの言葉に強く影響を受けているのです。それが、次の言葉。

「編集者は料理人だ。どんなに素晴らしい食材でも料理に失敗したら捨てるしかなくなる。逆に、食材が安くても料理人の腕が良ければ美味しい料理は出来る。つまり、食材(文章)を生かすも殺すも、料理人(編集者)の腕にかかっている」
これは偉人の格言では無いですが……僕の父親の教えです。父はプロの編集者として働いていて、その経験をもとに生み出した、父なりの「編集者の定義」が、上の言葉というわけです。僕は、この言葉を見るたび、編集者の責任の重さを強く感じますね。さすがにプロの言葉には重みがあります……うーん、僕はひとまず料理の仕方を覚える所から始めないと。いやー、先は長いですね。

さて、この駄文を根気よく読んでくれた方がいるか心配ですが……最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。いやー、ずいぶんと生意気な事を書いてしまったなぁ。毒にも薬にもならない文章でしたが、このコラムで誰か一人でも暇な時間を潰せた方がいれば、幸いです。

(浜村弘大)

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