年も終わりに近づいてきているある日、文房具屋、書店、雑貨屋などの店頭にずらっと並び立つ手帳やカレンダーの数々を見ていると、何か急かされているような心持ちに襲われることがあったりなかったり。それは、もう今年も終わるな、という焦りとか、一年が怒涛のように早かった、だって今年の初夢を見たのがまるで一週間前のことのよう、といった月日に押し流されてくことへの驚きとかがごっちゃになった感情です。
それだけでなく、これからやってくる新しい年が、一冊の本の中にまるっと入っていることへの不思議さのようなものも北風とともに心をかすめます。新しい手帳の抱え込む圧倒的な真っ白さは、よく考えたら怖いもののように私には思えます。なぜならその余白は、これから埋められ続けるであろうことを無条件に信頼しているものだからです。手帳の 機能からしてみれば当たり前すぎる話ではあるけれど。よもや断絶があろうとは思いもしていない純白さ。
ここでいう断絶とは、なにも「世界が来月終わったらどうしよう」的な不安から生まれる妄想に基づくものだけではありません。選んだときのままの気持ちで一年間、使い続けられると信じて人は手帳を買うけれど。それはほんとに合ってるの、と真っ白さが問いかけてきているような気がします。
たとえば途中で手帳のデザインに対する好みが変わるかもしれないし、なぜか急に意識が高くなった結果、一週間で見開き2ページじゃ足りないという事態が起こるかもしれない。人の細胞が一定のスパンで入れ替わることを考えると、昨日と今日の自分がまったく別のものであってもおかしくないのに、人は手帳を買うとき、昨日と今日が連なる一冊のはじめとおわりに、はるか遠く過去の「私」と、はるか遠く未来の「私」の同一性を見ようとする。
ただ、もしかすると、「私」が手帳を規定するのではなく、手帳が「私」を規定する、といったほうがいいのかもしれません。手帳は主に予定を立てるのに使われるため、人に未来目線であれこれ思案させ、現在をどう過ごすかを決めさせるものです。手帳に書かれた「私」が現在の「私」となるのなら(そんな都合のいいことは現実にはめったに起こりませんが)、「私」は手帳に規定される存在ともいえるのではないでしょうか。
一年間つきあう相手だからこそ、手帳を選ぶときには気合いが入ります。たしかに、今はスマホの手帳アプリもあって便利な世の中なので、紙の手帳を持ち歩く必要性は以前と比べて薄れてきているのではないかと思います。けれども、その気になれば年ごとにデザインもメーカーも変えられる「紙の手帳」を前にして、今年はどんな手帳を使おうかと考えをめぐらすひとときも楽しいものです。
紙の手帳にはさまざまなタイプ、デザインのものがあります。ここで私が使ったことのあるもの、これから使ってみたいと思っているものをとりあげてみたいと思います。
■DAILY PLANNER EDiT(Mark’s)
http://marksdiary.jp/edit/index.html
「EDiT NEW LiFE」というコンセプトのもと、「人生を編集する」という視点を提供してくれる手帳です。「使い方はあなた次第」とHPに書かれているように、中身は一日1ページでたっぷり書きこめる、ゆとりのある構成になっています。計画を立てるだけでなく旅行記を書いたり、絵日記をつけたりなど、使い方はさまざま。
2013年度はこのB6版にお世話になりました。行った美術展のチケットを貼ったり、読んでみたい本のリストを作ったり、日記を書いたり。ほとんど事後的にしか使っていない気もしますが、「使い方は自由」なので、たとえ予定を立てる機能を生かしていなかったとしても、それでいいのです、きっと。
■ほぼ日手帳(ほぼ日刊イトイ新聞)
http://www.1101.com/store/techo/
コピーライターの糸井重里さんが主宰するwebサイト、「ほぼ日刊イトイ新聞」から生まれた手帳。LOFTの手帳部門では9年連続No,1の売上を誇るそうです。全95種類のカバーの中から、自分の好きなデザインを選ぶことができます。一日1ページの文庫本サイズ。持ち歩きに便利な大きさです。
超有名なので、使ってみたいなと思いつつその価格設定になかなか手が出ない(カバーと本体セットで安くても3500円くらい)手帳です。カバーにもカードポケットがついていたりと、これ一冊持ち歩けば安心な感があります。「ことしのわたしは、たのしい」をキャッチコピーにかかげるほぼ日手帳も、「思い思いに使う」ことをすすめています。
まだ何も書かれていない手帳の真っ白さ。そこに、「使いこなせないかもしれない」という不安をみるのではなく、手帳に規定されない自分だけの使い方、自由な使い方をみつけていくことが、手帳とともに一年をすごす楽しみなのかもしれません。
私も来年こそは、三日坊主にならない「思い思いの使い方」を見つけたいものです(という願望こそが、新しい年を前にした「12月病」などとよばれうるものの作用によるのだという説は、ひとまず置いておいて)。
祖父江愛子
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