恋愛の話は、いつの時代のどんな世代でも興味があるのではないだろうか。万葉集には恋の歌があるし、平安時代にも恋愛ものの小説は多い。世代でいうなら、小学生からおばちゃんまで、幅広くウケる話題だと思う。とくに女子はこの手の話題が好きなイメージがある。
だが、それは一般的にいえばという話だ。たしかに自分のでも他人のでも恋の話なら盛り上がれる人はいる。修学旅行の夜の定番は怖い話か恋愛の話か、そうでなければ暴露話が相場であることも知っている。そしてなぜか、恋の話をすると人との距離がグッと縮まるような気がする。これはあながち間違いではないと思う。なぜなら、恋の話―つまり打ち明け話をすることで、話している相手と親しんでいるということが分かりやすく示せるからだ。
しかし、ここまで書いておきながら、私はこの手の話がどうも苦手だ。人の恋の話を聞くのは嫌いではない。自分がそういう話をすることもある。それなりに楽しめるのだが、しかしやはり、得意ではない。
理由ははっきりしている。話を聞いても、何と言ったら良いか分からないことが、圧倒的に多いからだ。たとえば友人に片思いの相談を持ちかけられたとする。その友人が相手との会話などを思い出し、「あそこでこう言ったほうが良かったのかな!?」と言って落ち込んでしまったところを想像してほしい。さぁ、どうするか。常識的に考えれば、友人をそれ以上落ち込ませるような言葉は避けたい。本音を言えば、「そこでそれはないんじゃないか」と思っても正直に口に出しにくい。はっきり言ってしまったら友人を傷つけてしまうかもしれない。ただでさえ相手はナーバスなはずだ。だとしたら、「そんなことないよ! 大丈夫だよ!」と言うのが妥当なのだろうか。しかし、心にも無いことを言うにはそれなりの準備が必要なのだ。私はとっさの判断とか柔軟な対応ができないのである。その結果、「……たぶん、大丈夫だと、思うよ、うん」と、時間をかけたくせにしどろもどろになりながら、ありきたりなことを言うのである。そして心の中で自分につっこみながら、消えたいような心細さにかられるのだ。
このようなわけで、私は恋愛の話が苦手である。が、あたふたするのは意見を求められたときだけで、基本的には楽しい。じつはもっと苦手な、というよりいっそ避けたい話がある。結婚(プラン)の話だ。
結婚願望ある?と聞かれたら、正直に無いと答える。するとここでなぜ無いのかと追及が始まる。この追及はわりと厳しい。しかし無い気持ちを湧かすことなどできない。そんなことができたらプロの女優である。目の前で友人たちがいつ結婚したいかについて、話している。私は次々に繰り出される話が具体的なことに、一種の畏敬の念すら覚える。大体なんで結婚したいと思うのだろう。私は家に帰ったら他人が待っているという状況(私の結婚の認識はこのようなものだ)になりたいとは思わない。働いてお金をためても、一人旅に行けるか怪しいものだ。子供ができたらそちらにかかりっきりなってしまいそうだ。要するに、ひとりの時間が持てなくなるのではないかと危惧しているのである。
だから今のところ、結婚願望はない。そんな話題になっても私はヘラヘラと聞いているだけである。今は一人でやることで手一杯だし、それで幸せなのだ。もし一人に飽きるときがきたら、そのときは私も結婚したいな……と思うようになるかもしれない。そうしたら、堂々と言ってやろうと思う。「結婚願望あります」と。
佐藤 真里
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