美しさも長くは続かない。
「お小姓の命は長うて三年」と昔の人は言った。
小姓はちょうど現代の男子中高生と同じくらいの年齢の子にあたる。小姓を巡って国を滅ぼした大名すらいるくらい。たった3年のために国をかけてしまう。私はそんな大名たちに共感してしまう。好きだから。
男子中高生が好きだ。
「おうちに来てくれる身近な王子さま」として、佐川男子が流行った。
男子中高生は言うなれば、「道端で出会える王子様」だ。
王子様とは違うかもしれない。王子なんて使い倒された表現を用いるのは彼らに失礼というものだし、彼らの魅力を伝えきれない。
二次元の男子中高生も好きだが、それ以上に三次元の男子中高生が好きだ。
エレベーターのボタンを押してもらえれば一日幸せに過ごせるし、会う人会う人に自慢してしまう。
ドミノ倒しになった自転車を一緒におこしてくれたときは、一生分の幸せを使い果たしたのかと本気で疑った。
電車で立っている男子中高生には席を譲ってあげたくなる。
公共の場で騒いでいる男子中高生を見かけては「お行儀悪いな」とは思うけれど、「元気があってよろしい」とついつい許容してしまう。
お店の前で「金ねぇよー」と騒いでいる子を見ては、奢ってあげたくなる。
そうやって甘やかすのは愛なの?と言われたこともあるけれど、愛だ。
祖父母の孫への甘やかしだって愛だ。
甘やかしたくなる。可愛いから。
小学生にも大学生にもない彼らの魅力はなにか。
制服効果は大きい(小学生でも制服を着ている子はいるがここでは割愛します)。
学ランも可愛い。ブレザーも可愛い。ジャージも可愛い。
春の初々しい姿から、夏のズボンたくしあげ、秋のカーディガン・パーカーときて、冬のマフラー。四季を通して素晴らしい。四季をこれほどありがたいと思うことがあるだろうか。いや、ない。
特に秋口のカーディガン・パーカーはおすすめだ。学ランやブレザーからカーディガンやフードがはみ出している姿は本当に可愛らしい。
人類の至宝と言っても差し支えないだろう。
ただ気になるのが、冬場でもコートを着ていないのはともかくとして、Yシャツ一枚だったり、学ラン開け放してYシャツのボタンもあまり留めていなくて、という子達がいることだ。
サービスしてくれるのは嬉しいです。でも、みんなが風邪ひかないか心配です。寒いから暖かい格好した方がいいと思います。咳をしている子を見かけるとのど飴を買ってあげたくなります。どんな格好してもみんな可愛いから大丈夫です。私のおすすめは、ダッフルコートです。防寒機能だけではなく、可愛さも兼ね備えた最高の装備と言っても過言ではないでしょう。制服との組み合わせにおいては最強だと思います。
ジャージで帰るのは禁止されているから一度制服に着替えるのだけれど、だるいから塾に行く時はまたジャージに着替えるみたいな、よくわからない行動も可愛い。
ジャージに着替えるなら私服に着替えたらいいじゃない……!!
私服ももちろん好きです。大好きです。
結局、男子中高生が着ているということが重要なのだ。
何着たって可愛いんだから!!
馬鹿なことをしている彼らを見ているのが好きだ。
路上でテニスラケット振り回してみたり。友達が向こう側で待っているからと赤信号を無視したり。
どうせすぐに会えるんだから、信号くらい待ったらいいじゃない……!!
危ないからやめようね!と思うけれど、「まぁいいかな」と思わせてくれる何かを彼らは持っているのだ。歩行者や車が気をつければいいか、と思ってしまう。
馬鹿なことをして許される最後の機会が中高生なのだろう。
大学生にもなって路上でラケット振り回すのは許されない。公共の場で騒ぐ大学生はただのくず。
でも中高生なら「中高生だから」と許されてしまう。
すごいよ。
真剣に頑張る男子中高生が好きだ。
甲子園のDVDを買った。
思わず涙してしまうエピソードが多く、さすが高校野球だ。
そこに至るまでの、彼らの苦労や頑張りを思うと、入場行進の時点で泣きそうになる。
きっと同じエピソードがプロや大学生にあっても、「いい話ですね」で終わってしまう。
勝っても負けても涙が出るのが高校野球。「よかったね」でも泣けるし、「頑張ってきたのにね」でも泣ける。ちょっとしたインタビューでも不意に泣かされることが多々ある。
甲子園には魔物がいるのだなと思う。
高校生の可愛さこそ魔物だろう。
野球だけではない。
年末年始は高校スポーツの宝庫だ。
ラグビー、サッカー、バレーあたりはテレビで放送されるが、他はあまり放送されないのが大変悔やまれる。中学生に至っては全く放送されていない。
メディアは、他のスポーツも高校野球と同じくらい大きく扱って欲しいものですね。
スポーツでは、特定の学校は応援しないと決めている。
みんな高校生だから。みんな大好きだから。みんな頑張って欲しいから。
可愛らしく愛すべき彼らではあるのだが、その輝きは中高6年間限定という非常に限られたものだ。だからこそ、愛おしいし、ずっと見ていたいと思えるのだ。
稚児への一種の信仰に見られるものと同じ。
造花よりも生花が美しいのは散ってしまうから。
儚いから彼らは美しいのだ。
(立木 栞)