こんにちは、もしかしたらこんばんはかもしれませんね。まぁともかく、どーもドーモ。羽山諒と申します。前のコラムを覚えている方もいらっしゃいますかね?いたならば重畳。今回も代筆する気が出るってもんです。はい、勿論羽山の代筆です。またお願いされてしまった。
いきなりですけど、昔、といってもたったの50年前くらいですけど、その頃の日本語って今より綺麗だったらしいですよ。
例えばなんですけど「小学校」って発音するじゃないですか。今だと「しょうがっこう」という発音ですが、昔は「しょうぐゎっこう」と発音していたようですよ。
口にしてみるとわかりますが、「ワ」の発音が入ることで柔らかくなりますね。えぇ。
まぁ全部テキトーな事言っているだけですけどね。
私の口から漏れた言葉は基本信じない方がいいと思いますよ。えぇ。
そんな私は前回の話では役に立たない話をしましたが、今回は無意味な話をしたいと思います。暇な方が居たら、まぁ聞いてくださいよ。
実はこの頃VOCALOIDの曲にハマっておりまして、えぇ、VOCALOIDというのは音声合成機械の総称……つまりは機械が歌う曲のことですね。
いや、意外といい歌ありますよ。えぇ。例えばハチPとかトーマP、それとピノキオPとか……これは失礼、話が逸れていましたね。
それで折角なのでVOCALOIDについて調べていたのですが、ふと気になることが某大型電子掲示板に書かれておりまして、その内容というものが『VOCALOIDの曲は名曲には成り得ない』だったのですよ。
さて、ここでまた僕の面倒な性格が滲み出てきます。名曲とは何でしょうか。評価の高さ、感情へ如何に訴えかけるか、技巧の上手さ。まぁ色々ありますね。ですが、ここで聞きたいのは何が名曲を名曲足らしめんとするのかということです。
さてここで唐突に話は変わるのですがみなさんに質問です。
「誰もいない森の中で木が倒れたら、音はするか?」
何言っているのだ、こいつは。などと思われるかもしれません。だけれども考えてみてください、音とは何なのでしょうか。音とは振動が僕ら生物の鼓膜を揺らすから音として認識される訳です。であるならば、我々がいない森で木が倒れても音は決して発生せず、ただの振動が起きるということではないのでしょうか。
それでも、森で木が倒れたら音がするのだ!!と言い張る方、わかりました。ではそういうことにしましょう。これから先は「耳に届かなくても音は音である」ということで話を進めましょう。では早速、聞いてみましょう。
「誰にも聴かれたことのない名曲は名曲ですよね?」
そろそろ皆さんが僕のことを変な目で見てきているのを感じます。ですが考えてみてください、まず皆に聴かれているとか、皆が知っている曲が名曲であるわけでは無いはずです。そうであるなら多分皆が普段耳にするCMなどが名曲になってしまいます(勿論、CMで元々名曲を使っている場合はありますが、それは考えないものとします)。ならば名曲を名曲足らしめる要素は和音、リズムなどが如何に技巧的に優れているかが重要であるはずです。
さてではここでもっと極端な話をしてみましょう。例えばモーツァルトの「運命」、厳密に言えば「交響曲第五番第一楽章」ですが、この名曲がそれこそ運命のいたずらで楽譜のみ書かれて、どこかに封印されたとしましょう。その楽譜は存在します。しかし音は出ません。誰にも存在を認知されていません。しかしその楽譜は名曲の楽譜であるはずです。
いやいや、何もおかしくはないです。だって耳に届かなくても音が音として存在しているならば、耳に届かなくても名曲は名曲といっても過言じゃないですから。
詭弁だと思いますか?えぇそうです、詭弁ですよ。でもこれを完璧に、完膚なきまでに否定してみてください。中々難しいでしょ?詭弁に勝てない正論なんて無力ですよ。
おっと時間ですか。では無理やり話の終わりに持ってきましょう。まぁ結局のところは答えとして「VOCALOIDだろうが何だろうが自分が気に入ればそれは名曲でいいじゃないか」です。肩すかしですか?だから言ったでしょう。無意味な話だって。
ただ、まぁすこし真面目な話をすると、先程の詭弁を壊す方法として「音とは何か、偶然と故意は同じとして扱うのか」とか「聞くと聴くに違いはあるのか」とか、色々とありますがそういうことを考えるのって楽しくないですか?楽しいと思うならこれからも考えてみてください、役に立ちませんけど、このクソッタレな世界が少し好きになります。
まぁ、全部テキトーに書いたことなのですけどね。本当に時間の無駄使いお疲れ様です。
まぁ五年前に書いたコラムだから面白くないのは勘弁です。
五年前の僕は今よりももっとつまらない人間でした。それこそ別人みたいに。
今思うと、五年前の自分って自分じゃないのではないかと思うのですがどうですかね?さぁ、僕にはわかりません。
まぁこれもテキトーな嘘ですけどね。すいません。めんどくさいの好きなのです。
それではそろそろ自分の記事はここで終わりにさせていただきます。さようなら。「サヨナラだけが人生だ」(注1)
匿名希望
(注1)「歓酒」作詞・干武陵、訳・井伏鱒二。から引用。
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