ふと、寂しさを感じることがある。その寂しさは本当に何気ない日常の一コマを過ごしていると、心の中にスーッと浮かび上がってくる。再びまみえることはもうできない、そのことは何度も自分に言い聞かせてきた。でも、苦楽を共にしてきたソレは、他の何かで埋めることのできるものではないし、忘れることなど到底できなかった。この寂しさは呪いか何かなのだろうか。私を離すことなく捉え続け、悩ませる。私の内なる荒涼はただただ広がるばかりである。
あー、すみません、ギブアップです。こんならしくない文章書いていたら、なんだか気分がおかしくなってきました。どうも、編集局二年高野です。
というわけで、体脂肪のお話です。上記の怪文のとおり、体脂肪が恋しいです。高校性の頃私は結構なデブでした。卒業式の日に保健室で測ったら、98kgもあったくらいです。それが、一年間浪人する間に73kg辺りまで落ち、最終的に65Kg(今現在)ぐらいまで減りました。身長は172cmくらいですので、BMI指数的には肥満から標準に突入したことになります。というか、調べてみたら日本人20~24歳の平均身長・体重に近い数値だったので、驚きのあまりお口あんぐりです。未だに自分の中にデブだって感覚が残ってるんですよね。
そんなこんなで、体重が3分の1近くも消失したわけで、色々と変わってくるものがあります。
まず分かりやすいところで、服のサイズ。高校時代、服のサイズはLサイズ、場合によってはLLも視野に入る感じでしたが、今はMサイズも入るようになりました。そのため、制服を含む高校の時から穿いてるズボンや高校卒業直後に買ったズボンはベルトをしないとすとんと落ちます。
次は、足を組めるようになったことでしょうか。太ってた時は内腿の肉が邪魔で膝裏が反対の膝にかろうじで引っ掛かるかどうかというレベルだったのが、苦も無く組めるようになりました。正直言って、痩せて一番感動したのはこのことだったりします。
あとは、寝るときに骨が当たることです。布団の上で寝る分にはあまり気にならないのですが、床の上など硬いところに寝転がる(夏場にだりーとか言いながらよくやるんです)と、尾骶骨や骨盤、あばら骨が床面に当たってすごい気になるんですよぬ。昔は体脂肪クッションがあったのに。こちらは体脂肪が恋しくなる一瞬です。
ただ、変化があったといっても、正直言って意識面では追いついてなかったりします。前述のように自分は相当なデブなんだという意識がいまだに残っていて、標準の範疇にいるという感覚はあまりありません。デブだということは中高校時代にはアイデンティティの一部でありましたから、なおのこと強固に残ってデブ感覚は消えませし、むしろ思い出補正として体脂肪消失の寂しさの一因となっているのかもしれません。こればかりは、時間をかけて修正していくしかないのでしょうね。そして、年を食って、腹が出てきたころにまた意識と体形の差を感じていくのかもしれません。
(高野正俊)
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