十代はいつか終わる 生きていればすぐ終わる
若さはいつも素裸 見苦しい程ひとりぼっち
(『深夜高速』/フラワーカンパニーズ)
23:00。
深夜の新宿を出発した高速バスは、八王子で新たな乗客を拾って関西方面へ向けて中央自動車道に入る。二階建て高速バスの一階部分は、暗く、狭く、ただ乗客を移動させるために作られた箱のように思えた。上京してから間もなく2年、長期休暇の度に深夜バスで関西に帰省するので、狭い座席や暗い車内に対しての心地悪さも、それと背中合わせになった妙な旅愁も、初めの頃のようには感じなくなっていた。
運転手がひそめた声で消灯を告げるのと同時くらいに、日付が変わるだろうか。カーテンの僅かな隙間から高速道路に延々と並ぶ黄色がかった道路照明を覗き見て、そんなことを考えていた。
現在、23:40。
今日の日付が変わるのと同時に、19歳から20歳になるのだ。
深夜バスの車内で20歳の誕生日を迎えることが決まったのは、ほんの2,3日前だった。誕生日の前日に大学で用事があり、誕生日には実家で用事がある。他にどうしようもないので前日の深夜にバスに乗ることにした。
夜行バスの暗い車内で人生の節目とも思える日を迎えることについて、特に感慨は抱かなかった。ただ、ある哲学者が大学での最終講義の最後に言ったという言葉を思い出していた。
1人の生徒のしつこい質問や追及によって、彼の最終講義はまったく授業の体をなしていなかったそうだ。他の受講者たちは、尊敬する彼の最終講義が台無しにされたと思い、教室には苛立ちの雰囲気が満ちていた。しかし、当の哲学者本人は、台無しにされた人生最後の授業の終わり際、微笑みさえしながらこう言ったという。
「これでいい。私はこういう終わり方を望んでいた。決定的に始まることや終わることなどなく、我々にはただ、続きがあるだけだ」
23:50。
狭い座席で体をよじらせて毛布を肩まで被ろうと苦闘しながら、今からちょうど10年前、自分が9歳から10歳になった日のことを思い出そうとしていた。誕生日のまさにその日のことを覚えているわけではないが、小学校3年で転校を経験して、新しい環境で新しい人間関係を作るのに子供なりに苦闘していた頃だということは思い出せる。
あの頃の自分は、20歳の自分をどんなふうに思い描いていただろうか。『ドラゴンボール』以外の娯楽を知らないような少年だったから、ピッコロとの闘いを終えた頃の悟空を想像していただろうか。
あぁ、20歳の悟空はもう結婚してたなぁ、ちくしょう。
先に予想していた通り、運転手がくぐもった声で消灯を告げたすぐあとに、日付が変わった。
19歳と20歳の境目なんてものは意識に残らないほど一瞬で過ぎ去り、驚くほどあっさりと、恐ろしいほど淡白に、20歳になった。
自分の人生の決定的な節目だと想像していた日に、決定的な節目なんて存在しないことを身をもって知った。まさに、「決定的に始まることや終わることなどなく、我々にはただ、続きがあるだけだ」。
この言葉は「何も始まらない。何も終わらない」という諦めの言葉ではない。そうではなく、ただただ延々と続いていく「続き」に対する覚悟を決めることを促し、体中から元気を湧き出させてくれるような言葉だ。19歳でピッコロとの死闘を演じ、20歳ですでにチチと結婚していた彼の言葉を借りるなら、「オラ、ワクワクすっぞ!」と言うべきところだ。
2:30。
20歳になって初めに停車したサービスエリアで、コンビニへ行った。こんな時間に、高速道路の上で、働いている人がいる。それだけのことに、なんだか改めて感謝してしまう。休憩時間は15分だけなので、急いでリンゴジュースとツナマヨネーズのおにぎりを買った。バスに戻って座席につき、暗い車内でおにぎりの包装を破いている時に、どうせならアルコール類を買えばよかったと思った。
PR